著者
小沼 通二
出版者
公益財団法人 日本学術協力財団
雑誌
学術の動向 (ISSN:13423363)
巻号頁・発行日
vol.22, no.7, pp.7_10-7_17, 2017-07-01 (Released:2017-11-03)
参考文献数
11
被引用文献数
1 1

言及状況

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あとで読んでみよう 初期の日本学術会議と 軍事研究問題 小沼通二 https://t.co/Fnsm6wnCjI
@fusu3 https://t.co/esze4TqeLW この事案は出所の問題で、使途は問題にされてませんね。 https://t.co/QWwbZZK74l
小沼通二「初期の日本学術会議と軍事研究問題」から https://t.co/5oht5F9z2W 『少子高齢化、巨額の赤字財政、国土狭隘の日本は、軍事大国にはなれない。』
@asahi 軍事研究は国の防衛研究所など 機密や構成員の安全が確保される機関で行うべきでしょう 【問題点】 ・大学には海外留学生や研究者などがおり、機密の確保が難しい ・研究者は敵対国に拉致・誘拐される危険がある ・学生本人が知らぬ間に軍事研究に組み込まれる恐れがある https://t.co/QaDlvNiHvA
#集団ストーカー 日本 p.11 重要 研究課題ごとに設置された研究特別委員会には以下などがあった。 「音響兵器」 「磁気兵器」 「電波兵器」 敗戦直後、文部省の指示による資料焼却 文献 小沼通二,『初期の日本学術会議と 軍事研究問題』, 学術の動向 2017.7,pp10-17 https://t.co/svlkFvHfVZ
日本学術会議と軍事研究の論説(PDFファイル8枚) https://t.co/VxaK3mWVLG
リンク先資料によると1951年に学術会議の会員選挙有資格者に「いつが最も自由に研究できたか」1930年から5年ごとに区切って質問したところ、1930年からの5年が最多で43%に対し、戦時中の1940 ~ 1944年も13%あったそうで、後者が最多とした論座の記載と齟齬があります https://t.co/XYvxpsD0PB
小沼 通二, 初期の日本学術会議と軍事研究問題, 学術の動向, 2017, 22 巻, 7 号, p. 7_10-7_17, 公開日 2017/11/03, Online ISSN 1884-7080, Print ISSN 1342-3363, https://t.co/Uh06jZN6x1, https://t.co/zIvE0XW1BH
小沼 通二, 初期の日本学術会議と軍事研究問題, 学術の動向, 2017, 22 巻, 7 号, p. 7_10-7_17, 公開日 2017/11/03, Online ISSN 1884-7080, Print ISSN 1342-3363, https://t.co/Uh06jZN6x1, https://t.co/zIvE0XW1BH
日本学術会議「学問・思想の自由保障委員会」の1951年のアンケート調査 この委員会は1951年に会員選挙有資格者から単純抽出で選び出した2,000名に研究の自由に関する書面調査をおこなった https://t.co/HWsJaE4GST #学術会議・戦前
日本学術会議は当然日本の再軍備に反対しませんでした。 https://t.co/LoR0ArRH2s
『その一方で「戦争になってしまったら、戦争に協力し、科学者が国家のために尽くすのは一面からいうと当然」という意見もあり、拍手まであった。』 1950年でもこんな意見を言えたんだ。 https://t.co/eTWA6YaGjz
【初期の日本学術会議と軍事研究問題 小沼通二】 https://t.co/TdlzWdr6uQ ・・・1948年12月12日に東京で平和問題討議会を行い、その結果をまとめて1949年1月に、「戦争と平和に関する日本の科学者の声明」を発表した。 12月の会議に提出され、仁科芳雄が発表した東京地方自然科学部会報告は、
「初期の日本学術会議と軍事研究問題」 https://t.co/mVIZx1awlX
小沼通二 2017 「初期の日本学術会議と軍事研究問題」 https://t.co/aFbRkk11f2 「学問・思想の自由保障委員会」1951年のアンケート調査 「いつが最も自由に研究ができたか」「1930年から5年ごとに区切って回答を求めたところ、…1930年からと1935年からの5年をあげたものがいちばん多く、43%だった」

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