著者
唐澤 太輔
出版者
早稲田大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2009 (Released:2009-04-01)

南方熊楠の「やりあて」(偶然の域を超えた発見や発明・的中)を可能たらしめている「場」の研究を中心に行った。その場とは「南方曼陀羅」における「理不思議」という領域であることを明らかにした。そして、統合失調症者に見られる様々な症状を比較対象とし、いわば「人間学的精神病理」の見地から研究を行った。自己と他者との境界・区別が曖昧になる領域を、自己と他者とをつなぐ「通路(パサージュ)」として捉え、その場に立ち、他者と交感し、さらに再び自己へと戻ることが、「やりあて」を可能にする条件の一つという結論を導き出した(『ソシオサイエンスvol.17』「南方熊楠の『大不思議』論-根源的な場に関する考察-」)。「やりあて」が可能になる場を「自他の区別が曖昧になる場」とする一方、自他を根底から支え、含み、さらに自他の内に含まれながらも、それらを超えている根源的な場を「自他融合の場」とし、それを「南方曼陀羅」における「大不思議」に見出した。そして、「大不思議」という、いわば「生命の根源的な場」を、熊楠と土宜法龍との間の往復書簡における言説から考察した。またCG.ユングの深層心理学を援用し、「南方曼陀羅」が熊楠の思想の核であると同時に、彼自身の心のカタルシス(浄化作用)としても機能していたのではないか-つまりこの曼陀羅を構築することで、彼自身の心に「統合性」が与えられていたのではないか-という新たな仮説を立て、考察を行った(『トランスパーソナル学研究vol.11』「南方曼陀羅への深層心理学的アプローチ-ユング心理学を手がかりに-」)。さらに、熊楠と彼の研究対象であった粘菌との関係から、熊楠が知り得たことを「内観」をキーワードに、研究・発表した、(「第9回日本トランスパーソナル学会大会」「南方熊楠の「内観」に関する考察-ユング心理学を援用して-」)。
著者
稲田 雅洋
出版者
一橋大学
雑誌
一橋論叢 (ISSN:00182818)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.213-233, 1973-09-01

論文タイプ||論説
著者
池田 富蔵
出版者
梅光学院大学
雑誌
日本文学研究 (ISSN:02862948)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.69-80, 1976-11-25
著者
桂木 健次
出版者
富山大学
雑誌
富山大学教養部紀要. 人文・社会科学篇 (ISSN:03858103)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.61-73, 1986

正誤表:p71.22行目 誤「国家期間」→正「国家機関」
著者
原 尚志 鈴木 幸太 木谷 美思 小野寺 悠 鈴木 諒 斎藤 美緑
出版者
日本物理教育学会
雑誌
物理教育 (ISSN:03856992)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.87-91, 2015-06-03 (Released:2017-02-10)
被引用文献数
1

福島第一原子力発電所事故により,福島県内は放射性物質による汚染が心配されている。福島高校スーパーサイエンス部では,高校生の外部被ばくに注目し,昨年6月福島県内外で個人線量調査を実施した。この結果から,福島県内の高校生の個人線量が特異的に高いわけではないことがわかった。
著者
粳間 剛 仙道 ますみ
出版者
三輪書店
雑誌
地域リハビリテーション (ISSN:18805523)
巻号頁・発行日
vol.12, no.10, pp.864-871, 2017-10-15

私は脳外科ナースの1年目のあいか. おニューのパソコンが壊れてしまって修理に来ています.
著者
道垣内 弘人
出版者
有斐閣
雑誌
月刊法学教室 (ISSN:03892220)
巻号頁・発行日
no.270, 2003-03

11 11 11 1 OA 平田神学の遺産

著者
三ツ松 誠
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.92, no.2, pp.183-205, 2018-09-30 (Released:2018-12-30)

平田国学が明治維新に与えた影響の如何という古典的な問いにつき、現在の研究状況をサーベイする。要点を三点にまとめると以下の通り。第一点。戦後の平田国学研究には、戦時下の顕彰運動の反動で、ナショナリスティックな側面を取り上げることを回避して、霊的世界の探究者としての篤胤に注目する傾向があった。しかし政治運動に関わった人々の主体形成に篤胤国学が影響したことは否定しがたい。第二点。近年の国立歴史民俗博物館における平田篤胤関係資料の調査の進展によって、篤胤やその家族、門人たちに関する豊饒な研究素材が学界に提供され、大きく研究水準が引き上げられた。古い議論にはそのままでは通用しない部分が生じている。第三点。明治初年における平田国学の挫折、という通俗的理解には注意すべきである。津和野派や薩摩派の国学者も篤胤から影響を受けているのだから、平田直門の失脚だけでは維新政権での篤胤学の影響力の消滅は意味しない。
著者
平井 新
出版者
慶應義塾経済学会
雑誌
三田学会雑誌 (ISSN:00266760)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.159(1)-177(19), 1961-03

論説
著者
小林 亮太 池内 淳
雑誌
研究報告ヒューマンコンピュータインタラクション(HCI)
巻号頁・発行日
vol.2012-HCI-147, no.29, pp.1-7, 2012-03-14

本稿は,表示媒体と表示内容の相違が学習能率にもたらす影響を把握することを目的とする.36 名の被験者に対して,タブレット端末と紙媒体のそれぞれを用いて,文学的文章と説明的文章からなる 2 タイプの文章を読ませ,主観評価および読み速度,記憶テスト,理解テストの結果を比較した.その結果,第一に,主観的な読みやすさの面では,iPad はすでに紙と同等の性能を実現していることがわかった.iPad を支持する理由としては,文字表示の鮮明さやページめくりのしやすさが上位を占める一方,紙では読書時の疲労が少ないことや集中しやすさが上位となった.第二に,文字情報のみからなるコンテンツの場合,読み速度や逐語的記憶では,説明的文章において表示媒体による有意差が認められた.また,文章理解ではタブレット端末よりも紙媒体に優位性があることが明らかになった.
著者
内田 由紀子 遠藤 由美 柴内 康文
出版者
日本グループ・ダイナミックス学会
雑誌
実験社会心理学研究 (ISSN:03877973)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.63-75, 2012 (Released:2012-10-25)
参考文献数
24
被引用文献数
1 2

人間関係への満足は幸福感を予測することが知られている。しかし,人間関係が幅広く,数多くの人とつきあうことが必要なのか,それともストレスが少なくポジティブな感情を感じられるような人間関係を維持することを重視するべきなのかについては明らかではない。本研究は,人間関係のあり方が幸福感とどのように関わるのかを探るため,つきあいの数の多さと,つきあいの質への評価に注目した。研究1ではソシオグラムを利用して身近な人間関係のグループを特定し,各々のグループの構成人数や,そのつきあいで感じる感情経験などを尋ねた。その結果,つきあいの質への評価が幸福感と関連し,どれだけ多くの人とつきあっているかは幸福感や身体の健康とは関わりをもたないことが示唆された。研究2ではより広範で一般的な人間関係を対象とし,関係性希求型の項目を加えて,関係志向性における個人差を検討した。結果,一般的にはつきあいの数が多いことと,つきあいの質への評価の双方が重要であるが,人間関係を広く求める「開放型」の人ではつきあう人の数が多いことが,既存の安定的な人間関係を維持しようとする「維持型」の人ではつきあいの質への評価が,それぞれ人生への満足感とより関連することを示した。また,開放型は維持型に比べてより多くの人と良い関係をもち,人生への満足感も高かった。これらの結果をもとに,人間関係が幸福感に与える影響について検討した。
著者
岩田 正隆
出版者
名古屋商科大学
雑誌
NUCB journal of economics and information science (ISSN:13466097)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.141-146, 2016-03

新制度派経済学・情報の経済学に刑事政策等の知見を取り入れ、社会的制裁の効果について行い得る研究について概観する。
著者
舩戸 修一
出版者
The Kantoh Sociological Society
雑誌
年報社会学論集 (ISSN:09194363)
巻号頁・発行日
vol.1999, no.12, pp.119-130, 1999

It is an undeniable fact that Nohonshugi (Japanese Agrarianism) prospered in pre-war Japan. At that time, Nohonshugi was regarded as a symbol of feudal period in Japan, that is, an ideological basis to protect the landed class. It should be noted, however, that Nohonshugi pursued to construct the ideal rural society and thus was critical of the rural society and the landed class at this time. The aim of this paper is to focus on Seikyo Gondo(1868-1937) and Kanji Kato (1884-1967), two well-known theorists of Nohonshugi, and reinterpret their Nohonshugi from the viewpoint of equalizing the rural society. In this way, it becomes clear how their Nohonshugi had an inclination to dissolve the landed class.