著者
石川 広明 安井 香奈子 桶田 善彦 野村 誠 渡辺 武士 三上 裕嗣 鈴木 仁 尾野 精一
出版者
一般社団法人 日本内科学会
雑誌
日本内科学会雑誌 (ISSN:00215384)
巻号頁・発行日
vol.102, no.4, pp.969-971, 2013 (Released:2014-04-10)
参考文献数
3

60歳,男性が頭痛,嘔吐,意識障害で入院となった.血液検査でTSH 99.099μIU/mlの上昇と,FT3 1.60pg/ml,FT4 0.58ng/dlの低下を認めた.また抗サイログロブリン抗体,抗TPO抗体の上昇を認めた.粘液水腫性昏睡と考え,甲状腺ホルモンの補充療法を実施したが症状の改善はみられなかった.その後血清中抗N末端αエノラーゼ抗体の上昇が認められたことより橋本脳症の合併を考え,ステロイドパルス療法を行ったところ,症状の速やかな改善を認めた.
著者
木戸 伸栄 キド ノブヨシ Kido Nobuyoshi
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 = Quarterly journal of welfare society (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.34, no.2, pp.75-94, 2015-10

口永良部島は屋久島の西方12kmに位置する。海岸線長49.67km、面積38.04km²、最高標高657m、(古岳)である。2014年8月3日に34年ぶりに噴火し、現在火口半径2km以内は警戒レベル3で入山規制がなされていた。そのため今回の調査は火口半径2km以外のひょうたん型の突き出た半島を主に調査を行った。この調査で、101科280種の植物(シダ植物9科25種、裸子植物5科5種、双子葉植物71科185種、単子葉植物16科65種)を観察した。シカとヤギによる食害が広くみられた。 調査日:2015年5月3~5日Plants of kutinoerabujmaare 101 family 280 species (Pteridophyta 9 family 25 species, Gymnospermae 5 family 5 species, Dicotyledoneae 71 family 180 species, Monocotyledoneae 16 family 65 species) in this investigation.The feeding damage due to the goat is thought to be a deer widely.
著者
若宮卯之助 [述]
出版者
大亜細亜建設社
巻号頁・発行日
1938
著者
雄山閣編輯局 編
出版者
雄山閣
巻号頁・発行日
vol.第36巻, 1933

1 1 1 1 OA 万妙薬方

出版者
立入与兵衛写
巻号頁・発行日
1613

書名は題簽による。各種の病気に対する薬の処方を記したもの。袋綴じの冊子を解体し、各丁を1枚に開いて綴じ、横長本に仕立ててある。元来は紙背に幸若舞曲の「あつもり」が書写されていたので、「万妙薬方」と「あつもり」が交互に現れる。「あつもり」には末から逆に丁付けを朱書している(順序が前後した個所もある)。この丁付けの第1、22、31丁は補写。巻末に慶長18年(1613)大文字屋立入与兵衛の書写奥書がある。この人物の経歴は未詳。
著者
武輪 鈴子 谷口 奈穂 田中 幸代 中野 崇秀 蓮井 正史 金子 一成 野津 寛大
出版者
一般社団法人 日本小児腎臓病学会
雑誌
日本小児腎臓病学会雑誌 (ISSN:09152245)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.147-151, 2009-11-15 (Released:2010-05-31)
参考文献数
14

腎性低尿酸血症は,human urate transporter1の異常により低尿酸血症をきたす疾患で,運動後急性腎不全の合併が多い。その発症機序について二つの仮説,すなわち「急性尿酸腎症説」および「活性酸素関与説」が提唱されているが,詳細は不明である。 本論文では,腎性低尿酸血症の患者において運動後急性腎不全の合併しやすい理由を過去の文献を参考に考察するとともに,筆者らが経験した腎性低尿酸血症患児において,運動負荷の上で酸化ストレス度と抗酸化力を測定した結果を紹介した。患児は対照成人と同様,運動負荷直後から酸化ストレス度の上昇を示したが,抗酸化力は対照成人と異なり,運動負荷後,急激に低下した。すなわち対照に比して運動負荷時の酸化ストレス増大に見合う抗酸化力を有していないことが示唆された。以上より,酸化ストレス急増時の抗酸化力の相対的不足が腎性低尿酸血症における運動後急性腎不全発症に関与しているものと思われた。
著者
○村上 由季 池﨑 喜美惠
出版者
日本家庭科教育学会
雑誌
日本家庭科教育学会大会・例会・セミナー研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.55, 2012

【目的】 日本人学校では日本国内の公立小・中学校と同等の教育がおこなわれている。しかし、様々な理由から日本国内と現地との環境には差が多く、教科書の記述と学習環境の不一致が生じることが予想される。本研究では、そのような状況下で、日本人学校ではどのような家庭科教育がおこなわれているのかを明らかにし、今後の日本人学校における家庭科教育の指導の在り方について検討、提言することを目的とした。【方法】 2010年11月~2011年1月にかけてアンケート調査を実施した。日本人学校88校に質問紙を郵送し、家庭科の授業を担当している教師に記入を依頼し返送してもらった。本報告では、調査協力を得られた48校の小学部の家庭科担当教師の調査票を分析対象とした。主な調査内容は、次のとおりである。1)家庭科担当者の属性、2)家庭科のカリキュラム、3)家庭科の教育環境、4)家庭科の指導方法、5)指導上の問題点や要望【結果及び考察】 1)日本人学校小学部で家庭科を担当している教師のうち、家庭科を専門として学んだ教師は10.2%であり、専門外の教師が指導していた。また、日本人学校での家庭科指導年数は1~2年が67%と最も多く、派遣教員が全体の55%を占めていた。このことから、日本人学校では安定した人員配置をすることが難しい状況にあるということが明らかとなった。 2)家庭科の授業時数に関しては、複式学級であるなどの理由から学校毎に多少のばらつきは見られたものの、多くが学習指導要領に定められた時数で授業を行っていた。複式学級の組み合わせは多様であるが、中には小学第5学年~中学第3学年までという組み合わせで授業をしている学校もあり、通常の家庭科指導を日本人学校で行うことの難しさの一因はここにもあると思った。また、現地理解教育の一環として、ペルー料理や韓国料理等の現地料理や、グアテマラ織りなどの題材を取り入れて、日本の教科書に準拠しながら実習を指導している場合が多かった。  3)小学部の家庭科室の保有率は85.7%であり、そのうち18.4%が理科室や他教室と併用していた。しかし、施設・設備については45%の教員が不足を感じていた。教科書について、家庭科担当教員の85.7%が使用しているものの、日本国内と海外では家庭科の基盤となる生活そのものに違いがあるため、実際は教科書どおりに授業をすることが難しいことも日本人学校の課題であることが教師の自由記述から読みとれた。 4)家庭科の指導方法の一つとして、現地理解教育を行っている学校が57.1%と多いことが、日本人学校の特色といえた。家庭科をイマージョン・プログラムの一環として英語で授業を行っている学校も少数派ではあるものの、増えてきていた。そして、現地理解教育では、実体験をとおしてその土地の習慣や生活の仕方を知り、学んでいくため、9割以上の教師が調理実習や被服実習などをまじえて指導していた。 5)家庭科を指導する上で、教員の家庭科免許の有無や海外にあるという日本人学校の立地条件が問題の要因となっている。例えば、調理実習においては、地域によって日本の食材がそろわなかったり、現地の食材には衛生面で問題があったりする。また被服実習においては、日本から製作キットを取り寄せると輸入という形になるため、予算の都合上困難であるとの記述が見られた。【提言】 本調査を考察した結果、ほとんどの教師が家庭科を専門としない中で、現地の環境や状況を受け入れ、工夫して指導していた。そこで、日本人学校が抱える共通の問題、例えば複式学級、現地理解教育、さらには実習材料の問題など、多くの問題を教師間で共有できる場を作ることが、家庭科を専門としない教師たちの指導における不安を軽減することになるのではないかと考える。また、日本人学校出身の児童・生徒の側から見た日本人学校での家庭科の学習経験を調査し現状を精査することにより、よりよいあり方を模索することができるのではないかと考える。
著者
市野 進一郎 フィヒテル クローディア 相馬 貴代 宮本 直美 佐藤 宏樹 茶谷 薫 小山 直樹 高畑 由起夫 カペラー ピーター
出版者
日本霊長類学会
巻号頁・発行日
2013 (Released:2014-02-14)

(目的)マダガスカルに生息する原猿類(キツネザル類)は,真猿類とは独立に群れ生活を進化させた分類群である.集団性キツネザルには,性的二型の欠如,等しい社会的性比,メス優位など哺乳類一般とは異なるいくつかの特徴がみられる.こうした一連の特徴は,社会生態学理論でうまく説明できないものであったが,近年,メスの繁殖競合によって生じたとする考え方が出てきた.本研究では,長期デモグラフィ資料を用いて,ワオキツネザルのメス間の繁殖競合のメカニズムを調べることを目的とした.(方法)マダガスカル南部ベレンティ保護区に設定された 14.2haの主調査地域では,1989年以降 24年間にわたって個体識別にもとづく継続調査がおこなわれてきた.そこで蓄積されたデモグラフィ資料を分析に用いた.メスの出産の有無,幼児の生存,メスの追い出しの有無を応答変数に,社会的要因や生態的要因を説明変数にして一般化線形混合モデル(GLMM)を用いた分析をおこなった.(結果と考察)出産の有無および幼児の生存は,群れサイズによって正の影響を受けた.すなわち,小さい群れのほうが大きい群れよりも繁殖上の不利益が生じていることが明らかになった.この結果は,ワオキツネザルの群れ間の強い競合を反映していると思われる.一方,メスの追い出しの有無は,群れサイズよりもオトナメスの数に影響を受けた.すなわち,群れのオトナメスが多い群れでは,メスの追い出しが起きる確率が高かった.このように,ワオキツネザルのメスは群れ内のオトナメスの数に反応し,非血縁や遠い血縁のメスを追い出すことで群れ内の競合を回避するメカニズムをもっているようだ.

1 1 1 1 OA 職人尽歌合

出版者
巻号頁・発行日
vol.[3],
著者
小林 元気
出版者
留学生教育学会
雑誌
留学生教育 (ISSN:13452398)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.59-68, 2017-12

2000 年代の後半から,「内向き」という言葉が,若者の海外志向の低下という文脈において,特に,海外留学者数の減少の原因として語られるようになり,政府の海外留学政策の基本認識としても定着している。本論は,そのような「内向き」イメージが社会的に構成されたものであるとの前提に立ち,新聞・雑誌記事の言説を分析した。結果,「内向き」イメージは,2009 年の政府資料をきっかけとして社会的に構成され,社会に定着したことが明らかになった。また,「内向き」言説の根拠として言及される日本人の海外留学に関する各種統計について,多様な留学の定義を整理しながら検討した結果,エリート層が中心となる長期留学が減少する一方,非エリート層中心の短期留学が増加していると考えられる点が示唆された。最後に,長期留学の減少について若者の「内向き」志向と一般化してしまうことの誤謬と,教育格差の視座から短期留学に着目する必要性について指摘した。
出版者
大政翼賛会
巻号頁・発行日
1943
著者
渡辺 誠
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.74, no.1, pp.19-46, 1966-04-10 (Released:2008-02-26)
参考文献数
74

1. In the Jomon Period, Neolithic culture of Japan, 495 fish-hooks have been recovered from 77 sites, of which 430 are one-piece hooks, and 65 two-piece hooks. However, no composite hook has ever been found.2. One-piece hooks are classified into six types: (1) non-barbed; (2) out-barbed; (3) in-barbed; (4) both-barbed; (5) stem-barbed; (6) anker-type, and of these hooks non-barbed and out-barbed are most popular. In other words, it may well be said that these six types can be classified into two groups such as non-barbed (Type 1) and barbed (Type 2-6). In general, it can be said that the former, taking the form of medium size (3-5 cm.), has been found throughout the Jomon Period and widely distributed. The latter, however, has made a remarkable progress since the later phase of the Stage 3 (i, e. Jomon Period is divided into five stages), and includes many large-sized specimens beside the medium-sized ones. At the same time, it must be remembered that the increase of the absolute quantity has become more conspicuous, though its distribution is comparatively limited.3. Two-piece hooks are classified into six types (A-F). Unfortunately, we are obliged to make a study of mainly Types A, E and F because of the lack of the specimens of the other types. Type A found during the Stage 1 comprises chiefly the medium-sized two-piece hooks which are similar to the non-barbed type of one-piece hook in their size, and Type E and F consist of large- or remarkably large-sized specimens. Hence it can be said that Types E and F are a sort of form that promoted progressively the tendency to make larger fish-hooks like the barbed type of one-piece hook.4. A study of fish bones found in the shell mounds provides us with information that fish-hooks were mainly used for the capture of such fishes as Pagrosomus unicolor (QUOY & GAIMARD), Euthynnus pelamys (LINNÉ) and Thynnus thynnus (LINNE), though the last is rare. It seems safe to suppose that the fish-hooks of medium size might correspond to the use of the capture of Pagrosomus unicolor, and those of large size to Thynnus thynnus: in particular the latter seems to have been bartered as a major materials.5. It may be explained that the phenomenon that fishery by angling, which had been developed since the later phase of the Stage 3, was more positively selecting fishing places in the Stage 5 indicates the appearance or development of a group of houses specializing in the fishery.6. 96.6 per cent of fish-hooks are made of deer antler, and the Types E and F of two-piece hook are of ideal perfection of technical development which has succeded in meeting the demand of mass production of the large-sized fish-hooks within the restriction of the material-antler. However, this restriction of the material seems to have been dissolved by the diffusion of Yayoi culture in the succeeding period.7. Such a technical development was made along the Pacific coast of northeast Honshu, where the sign of this advance had been recognized in the later phase of the Stage 3, and especially in this coast the Bay of Sendai must have played a leading part in making a remarkable progress.8. From the extensive point of view, the sites containing the fish-hooks are concentrated along the Pacific coast of central and northeast Honshu, and are very rare in the prefecture bordering the Japan Sea and in southern Honshu and Hokkaido. It is noteworthy that the areas of heaviest concentration of the sites from which the fish-hooks have been recovered corresponds to the areas where the Jomon culture most flourished.
著者
横手 直美
出版者
日本母性衛生学会
雑誌
母性衛生 = Japanese Lournal of Maternal Health (ISSN:03881512)
巻号頁・発行日
vol.45, no.4, pp.432-438, 2005-01-01
参考文献数
11
被引用文献数
1 or 0

本稿は, 緊急帝切で生児を出産した女性の産褥1週間における出産体験の認識をトラウマという視点から分析し, 緊急帝切におけるトラウマの要因を知ることを目的とした。民間の産婦人科病院で, 緊急帝切で生児を出産した産褥入院中の女性11名に対し, 2回の半構成的面接(産褥2日, 7日)と参加観察を行い, 逐語記録とフィールドノートから得られたデータを分析した。その結果, 今回の出産をトラウマとして認知していた者は8名で, トラウマの要因として, 母体側要因の【猛烈な陣痛の痛み】【極度の疲労感】【わが身に死が迫る実感, 恐怖】【状況に抵抗できない無力感】【陣痛に屈してしまう無力感】, 児側要因の【児死亡の恐怖】【出生後の後遺症の心配】, 環境要因の【出産環境の急激な変化】【予想外の緊急手術による準備不足】という9要因が抽出された。以上から緊急帝切における女性のトラウマは, 手術そのものよりも, 手術に至るまでの過酷な陣痛体験と手術が必要となった逼迫した状況下での恐怖や無力感と関係があると考えられた。医療者は, たとえ緊急帝切によって母児が救命されても, 女性が出産体験をトラウマとして認知している可能性があることを十分認識する必要がある。

1 1 1 1 OA 市中取締書留

出版者
巻号頁・発行日
vol.[123] 安政,
著者
宮川 俊夫 白井 靖男 森田 一朗 森田 峰子 北村 二朗 遠藤 正治
出版者
社団法人 日本写真学会
雑誌
日本写真学会誌 (ISSN:03695662)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.219-225, 1990-06-28 (Released:2011-08-11)
参考文献数
38

In the former paper, Miyagawa et al. reported on Kohsai Udagawa's writing on albumen-on-glass photography, entitled “Potokarahii”. Yokusai Ihnuma who lived in Mino was Kohsai Udagawa's real father, and was one of famous scientists in 19th Century. He and his followers tried photography. Among them, his nephew, Ryuh-a Kojima was a tallent photographic technician. He opened a photographic studio in Gifu-ken, which was the first one in this prefecture. In 1873, he made an interesting collage picture composed of his familie's and his own portraits. It could be the oldest one of such kind of pictures in Japan. Yoshihiro Kuze studied photography with Yokusai Ihnuma in the Chemical Institute of the Ohgaki Clan. Reiji Esaki opened his photographic studio in Tokyo. He studied, at first, wet-collodion process, subsequently, he tried to use imported dry plate to take picture of rapid moving objects. In addition to them, he developed collage picture making. He made a surprising one composed of 1700 babies' photographic portraits which were taken with dry plate, in 1893.

1 1 1 1 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1889年12月30日, 1889-12-30
著者
長谷川 滋利 上野 陽子
出版者
日経BP社 ; 2002-
雑誌
日経ビジネスassocie (ISSN:13472844)
巻号頁・発行日
vol.14, no.3, pp.24-27, 2015-02

元メジャーリーガーの長谷川滋利さんは、野球選手の中でも「流暢な英語を話す」ことで知られていた。そんな長谷川さんも、「どこに泊まっているの?」という簡単な英語の質問に答えられなかった苦い経験を持つ。「当時は全く聞き取れなかった」と言う長谷川さんが、今の英語力を身につけた「学習法」とは。