著者
安藤 孝弘 田中 義照 佐久間 正明 遠藤 久芳 Takahiro ANDO Yoshiteru TANAKA Masaaki SAKUMA Hisayoshi ENDO 国土交通省船舶技術研究所構造強度部 国土交通省船舶技術研究所機関動力部 国土交通省船舶技術研究所構造強度部 国土交通省船舶技術研究所構造強度部
雑誌
船舶技術研究所総合報告資料
巻号頁・発行日
vol.平成12年度, pp.85-112, 2001-03-31 (Released:2017-04-14)

Recently, the extensive use of high-tensile steel for ship hull structures has realized the decrease of plate thickness, under the design condition that no members yield for the design loads. However, the post buckling design as well as air planes is required to aim at the further making the most of high-tensile strength. This study had been performed as a designated study of Ship Research Institute for three years, in order to investigate the applicability of the post buckling design for ship structures assembled by welding. The details are as follows: ・Investigation of buckling analysis methods of panel or stiffened panel ・Model tests and numerical analysis of stiffened panel ・fatigue tests of stiffened panel subjected to pulsating compressive and shear load ・Investigation of the applicability of the post buckling design for ship structures
著者
笹倉 秀夫
出版者
早稲田大学法学会
雑誌
早稻田法學 (ISSN:03890546)
巻号頁・発行日
vol.93, no.4, pp.225-254, 2018-07-30 (Released:2018-08-21)
著者
千葉 建
出版者
筑波大学倫理学原論研究会
雑誌
倫理学 (ISSN:02890666)
巻号頁・発行日
no.17, pp.69-80, 2000-12-20 (Released:2013-12-18)

カントは「判断力批判」の「第一章 美しいものの分析論」で、趣味判断が、たんに主観的な判断であるにもかかわらず、判断者であるかぎりのすべての人間に対して普遍的賛同を強要するものだと分析している。こうした ...
著者
山野井 徹
出版者
山形応用地質研究会
雑誌
山形応用地質
巻号頁・発行日
vol.20, pp.19-26, 2000-03-31 (Released:2015-08-24)

はじめに 今年は2000ということで,タイムカプセルを何年ぶりかで掘り出し,過ぎた日々を懐かしむ光景が各地で報道されている.そしてまた今年もあちこちで新たにタイムカプセルが埋められていると聞く.そうした楽しい行事に水を差すつもりはないが,タイムカプセルはなぜ土の中に埋めるのか,その意味は考えておく必要があろう.なぜなら,そうしたことが主に学校など教育現場で行われているからには,「なぜ埋めるの?」という生徒の質問に的確に答えられる準備を要するからである.答えが「埋めないと紛失するから」では適切な答えとはいえない.それなら「昔のものは土の中から出てくるから」との答えでは,昔の土器などは当時の人たちが土の中に捜めたのか,という疑問が残る.いや,いちいち埋めるはずがない.ならば土器が自ら土の中にもぐり込んだのか?そんなはずもない.ではどうして土器は土の中から---? かつて井尻(1966)は大学生からの同様の質問に,とっさの苦しまざれに「そりゃ,落ち葉や枯れ葉がつもって土になるからだよ」答えて,なんとお粗末な回答であったかと自省している.生物の遺体はまれに化石となって残るが陸上では土にはならず,大部分は水と炭酸ガスに分解してしまう.このように,地表の動植物は土にはならないので,土器がどうして土の中から出てくるかは,分かっているようで,分かっていないことである.タイムカプセルを土の中に埋めることの意味の適否は,土の根本的な性質にかかわることのように思える. ところで,こうした土器や石器を埋積している土についてであるが,旧石器時代の石器は赤土の中から,縄文時代の遺物は黒土の中からでてくることが多い.また,縄文期のものが赤土から出てくることはあっても,旧石器のそれが黒土から出ることはない.すなわち,黒土に埋没する土器は縄文期以降に限られるという不思議な必然性がある.この理由を的確に答えた考古学者もいない.そこで,小論では黒土と縄文時代はどんな関係にあったのであろうかということを考えるが,それには先ず黒土とは何かを明らかにしなければならない.従来黒土は「クロボク土」とよばれ,「火山灰土」と考えられてきた.地質学でいう「火山灰」とは「テフラ」と同義で,火山の噴出物が直接堆積したもので,日本列島上では酸性のマグマに由来する優白色もののが多い.火山灰が黒色であることは伊豆やハワイのような玄武岩質のマグマからなる火山活動であれば理解できるが,日本列島上の大部分の火山は安山岩や石英安山岩質のマグマからなるので,灰色の火山灰はあってもクロボク土のように黒色である火山灰が広く分布していることは地質学的に理解し難いことである.それにもかかわらず,土壌学においては,クロボク土とは「火山灰土」とされている.地質学で火山灰とはいえないものが土壌学ではなぜ火山灰土になるのか.そうしたことの検討を通し,黒土の成因が明らかにし,さらにまた黒土と縄文人との関係についても考えてみたい.
著者
李 明姫
巻号頁・発行日
2002-03-18 (Released:2014-01-24)

インターネット利用人口の急速な増加と情報の世界的な普及によって,インターネットの新たな媒体としての重要性が高まっている。特に,ブラウザさえあればコンピュータや製作したアプリケーションに依存せずに同じ文書を見ることができ,ハイパーテキスト形式によって自由に文書間を移動し,必要な情報を集めることができるWorld Wide Web の登場がその発展の一因を担っている。 / インターネット上で情報を与えているウェブサイトの多様化が進んでも,情報の伝達やユーザーの説得のための主な手段はやはり文章である。従って文章が画面にどのように表示されるかということは,きわめて重要な問題である。文章は短時間でユーザーの注意を引き,情報を伝える必要がある。 / このような目で改めて見ると,現在のウェブページの文字は,ほとんどが非常に読みにくい。それらは文章の行間があいていないページや文字のサイズが小さいページ,背景が明るすぎているページなどその原因は様々である。 / モニター上のテキストの読みやすい環境について読者であるユーザーにアンケート調査を行った。その結果,例文で最も低い評価を得たのは黄色の背景の文字であった。この結果から,文字を読むのに,モニターの発する光の影響が考えられる。紙の上に印刷された文字と違って,光を発する画面であるモニター上の文字を読むのには光の量に大きく影響される。背景色の項目でグレーの背景の場合が最も高い評価を得ているのもそのためだと思われる。 / 次に低い評価を得たのは,行間の変化による文字の読みやすさの設定をしなかった例で,行間が文字を読むのに大きな影響を与えていると思われる。 / 文字の読みやすさに影響を及ぼす最も重要な要素に,文章の行間と背景の色,つまり画面が発する光の量があることが判明した。 / モニター上テキストの読みやすい環境に関するアンケートの中で,テキストの背景色の変化について,最も高い評価を得たグレーに着目し,背景の明度の変化による可読性の違いを分析した。その結果,明るいグレー(#DDDDDD)の背景が一番多く,白い背景,グレー(#BBBBBB),また黒い背景に白い文字を選んだ人もいた。 / 続いて画面上でテキストを読む際に背景明度の変化だけではなく色の変化は可読性にどのような影響を与えるのかを調査分析した。背景色の変化の段階を明度差による読みやすいアンケートから得たグレーの色相・明度・彩度(8.48GY8.58/0.79)を基に,マンセルシステム基本5 色の変化とグレーで6 段階に設定した。その結果,背景の色相を黄系にしたのが一番多く,その他青系の背景,灰色・紫系の背景,赤系・緑系の背景順に分散された。 / この結果から,モニター上で文字を読むのにモニターから発する光を感じられないような環境,つまり8.5 位の明るい明度と0.8 位の低い彩度の背景が必要なことが分かった。色相については一番読みやすいと選ばれた黄系の背景からみると,赤系や青系のような色より,柔らかく刺激のない黄系の方がよいと思われた。 / 今までのタイポグラフィは,印刷媒体の中で文字を扱う視覚的なデザインのことを示していた。しかし,現在は印刷を通じなくても画面上に表示するような新しい方法が登場している。既存のタイポグラフィの要素と同様に画面上での読みやすい文字の環境が重要になっている。 / インターネット上の情報は数え切れないほど多く,またこの情報を利用する人も急速に増えつつある。しかし,インターネット上のウェブデザインにおけるタイポグラフィに関する研究はまだ進んでない。今まで印刷物のデザインを担当していたデザイナーがそのままウェブデザインを担当することになったが,印刷分野のデザイン技術はウェブページデザインには応用できない部分があると指摘されている。 / そこで,本研究ではウェブページをデザインするときに注意すべき文字に関する画面上のタイポグラフィのあり方について考察し,ユーザーが使用しているコンピュータやブラウザの個人設定によって違って見えるウェブページを制作者が意図した読みやすいテキストや色などで見せるための設定方法を述べた。 / 本研究は,ブラウザ上で理解しやすく読みやすい文字表示を目的に進めてきた。しかし,制作者のデザイン能力により文字を読みやすく表示することだけでなく,コントロールできないユーザーの環境にも文字の見え方が異なるとの問題点もあった。 / そこで今後の課題として読みやすさに関する要素をさらに,モニター上の表示に関わる部分とユーザー個々の環境による部分に分けて研究を進めていく必要がある。 / まず,考えられることは,本論文ではモニター解像度による文字表示の制限で除外した明朝体やゴシック体といった書体について読みやすい程度などを調査することである。また,背景色と文字色のコントラストの差による読みやすさについて注目したい。ウェブページの個性を表すため,また,画面から発する光を感じられないような背景色と,読みやすいコントラストの文字色の関係についてさらに研究を進めなければならない。 / そして,ユーザー側の環境では,モニター画面を照らす照明道具や明るさ,または,ユーザーの目と画面との距離や角度による読みやすさの違いについて検討する必要にも着目したい。 / 本研究によって印刷における読みやすさと画面上における読みやすさの共通点と異なる点が明らかになり,標準的なフォーマットを作ることができたが,この検証と,さらに積み残している研究課題について今後も取り組んで行きたい。
著者
瀧 大知
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Studies (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.149-168, 2018-03-13 (Released:2018-06-19)

本稿では、日本における排外主義勢力が、どのような言説をもって排外主義を「正当化」してきたかを考察することを目的としている。「中国」に関連した排外主義者の言説戦略が、「池袋チャイナタウン」と「横浜中華街」とでは差異があることに着目し、比較分析をおこなった。「池袋チャイナタウン」で現れた言説は、新華僑を「脅威」、老華僑を「同化」した存在であると認識することで、「同化主義」による排外主義の「正当化」がおこなわれていた。さらに「反日教育」による「反日」的な国民/民族であると規定されることによって、新華僑と老華僑が「分断」されていった。また2 つのチャイナタウンの文化的な差異にも、それが表象されていることを明らかにした。最後に、その根底に「植民地的まなざし」があることを仮説として提示している。
著者
沖 裕貴
出版者
中部大学大学教育研究センター
雑誌
中部大学教育研究 (ISSN:13497316)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.1-18, 2017-12-20 (Released:2018-02-14)

本稿では、カナダおよび世界各国の制度的な教育専念教員ならびに実質的な教育専念教員に関する実態とその導入の背景や特徴、課題についてまとめたものである。カナダをはじめ一部の国々では終身雇用で教授職への昇進を含めた教育専念教員制度が確立しており、大学内での彼らの貢献の評価は高く、彼らの自らの職位に対する満足度も極めて良好である。また、一部の国々では国としての施策には反映されていないが、教員個人や大学ごとに教育と研究のバランスを個別に調整するところも多い。これには各国とも、多様な入学者の増加と教員の負担増、公的研究費の相対的減少、研究の重視と教育効果の説明責任の拡大などの高等教育を巡る情勢の変化が背景となっている。教員団を分断し、教育と研究の両立の理念を破壊する懸念もあるが、なし崩し的に進んでいるこれらの事態に対し、新たな教員像、大学像を模索するともに、研究としての教授・学習の学識(SoTL)の認知と人事考課への反映が急がれる。 This paper attempts to describe the actual conditions of institutional and substantial teaching-stream faculty (teaching-centered faculty members) in Canada and several advanced countries, and consider their backgrounds, characteristics and issues. Not only in Canada but also in some countries the system of teaching-stream faculty including a full-time faculty appointment and opportunities to promote to a professor has already been established, and their contributions have been highly evaluated by their colleagues while they have been so much satisfied with their positions. In some other countries the national policy relating to teaching-stream faculty has not been introduced yet, but the balance of teaching and research is separately adjusted according to an individual and a university. In the background they are similarly facing the drastic changes in higher education such as an increase in diverse enrollment and teaching burdens, a relative decrease in public research funds, more emphasis of research results, and gradual expansion of accountability of the teaching effects. Though those actions may raise a serious concern about resulting in the development of a two-tiered faculty environment and destruction of the traditional balance of teaching and research, a new concept of faculty and university must be pursued towards these inevitable shifts, and at the same time, especially in Japan, individual faculty evaluation should be revised as quickly as possible so that it may reflect on scholarship of teaching and learning as academic work.