醍醐(daigo) (@daigotarou)

投稿一覧(最新100件)

RT @digitalarchivej: 「デジタルアーカイブ学会誌」2023年第1号 [特集:舞台芸術のデジタルアーカイブ]総論:舞台芸術のデジタルアーカイブ. 岡室 美奈子 https://t.co/hUzC0wR8hn
RT @digitalarchivej: 「デジタルアーカイブ学会誌」2023年第1号 [特集:舞台芸術のデジタルアーカイブ]舞台芸術のデジタルアーカイブにおける将来の課題と展望:Japan Digital Theatre Archivesへの歩み. 中西 智範 https:/…
RT @Kokudai_kindais: 【書簡巻物「心香辤芳」 島崎藤村書簡 立川雲平宛】 明治44年5月27日 小説家島崎藤村が長野県会議員や衆議院議員を務めた佐久の政治家立川雲平に宛てた書簡。内容は藤村が小諸義塾の関係者の消息を訪ねている。立川は藤村の『破戒』に出てくる市…
RT @Kokudai_kindais: 【犬養毅書簡 牧野伸顕宛】 〈大正末期頃〉7月6日 犬養毅が牧野伸顕に宛てた書簡。書簡の中では犬養が原田庄左衛門という人物を牧野に紹介している。犬養は「憲政の常道」最後の首相であり、「五・一五事件」の様子は木戸日記、原田日記、牧野日記等…
RT @Kokudai_kindais: 【倉富勇三郎書簡 金子堅太郎宛】 大正15年5月12日 倉富勇三郎が金子伯に宛てた書簡。内容は倉富が枢密院議長となったが病の為ご挨拶が遅れたとのことを謝している。倉富の日記『倉富勇三郎日記』は大正末期から昭和初期の政治情勢を知る上で需要…
RT @Kokudai_kindais: 【蹇蹇余録草稿綴】 明治28年 日清戦争時の外相陸奥宗光が開戦から日清講和条約批准までの記録を綴ったのがこの『蹇蹇録』である。外交史・日清戦争に関する史料としては一級である。本史料は「草稿」であるため書き込みが多くみられる。 上巻htt…
RT @Kokudai_kindais: 【蹇蹇余録草稿綴】 明治28年 日清戦争時の外相陸奥宗光が開戦から日清講和条約批准までの記録を綴ったのがこの『蹇蹇録』である。外交史・日清戦争に関する史料としては一級である。本史料は「草稿」であるため書き込みが多くみられる。 上巻htt…
RT @Kokudai_kindais: 【有栖川宮熾仁書簡 陸奥宗光・柳原前光宛】 明治9年7月24日 元老院議長有栖川宮熾仁親王が陸奥宗光・柳原前光らに宛てた書簡。内容は芝離宮(現東京都港区)に「三條(実美)岩倉(具視)之両大臣木戸大久保伊藤之三参議・・」を招いて宴会を開く…
RT @Kokudai_kindais: 【秋山真之書簡 斎藤実宛】明治35年1月25日 海軍軍人秋山真之が海軍総務長官斎藤実に宛てた書簡。史料には米国海軍拡張計画の経過を報告し「…吾海軍拡張案に対シ多少ノ御参考ト可相成ト存候…」と述べている。日本海軍拡張計画には日本海海戦で有…
RT @Kokudai_kindais: 【鳩山一郎書簡 安藤正純宛】 昭和15年9月2日 鳩山一郎が立憲政友会の政治家安藤正純に宛てた書簡。内容は「新体制」について不満を抱いていることが読み取れる。鳩山と安藤は大政翼賛会に参加せず非推薦で立候補し当選した政治家であった。 ht…
RT @Kokudai_kindais: 【岩崎弥太郎書簡 上野景範宛】 〔明治10年〕3月4日 三菱財閥の創始者岩崎弥太郎が英国特命全権公使上野景範に宛てた書簡。前半の内容は英国へ留学する三菱社員の子息2名の庇護について書かれており、後半は西南戦争の戦況について述べられている…
RT @Kokudai_kindais: 【粛軍ニ関スル意見書】 昭和10年7月11日 この史料は、皇道派の村中孝次(陸軍歩兵大尉)・磯部浅一(陸軍一等主計)が士官学校事件やそれ以前のクーデター未遂事件を暴露した「怪文書」である。この「怪文書」は永田鉄山暗殺事件の犯行者相沢三郎…
RT @Kokudai_kindais: 【尾崎行雄書簡 森本確也宛】 〈明治25年〉5月17日 尾崎行雄が支援者の森本確也に宛てた書簡 「今回の事は立憲制度進歩の一段階と存候藩閥政府の命脈も日々に短縮致候ハ國家のため慶賀すべき次第に御座候」とある。今回の事とは政府による選挙干…
RT @Kokudai_kindais: 【嘉納治五郎書簡 下村宏宛】 昭和13年4月4日 東洋初のIOC委員嘉納治五郎が大日本体育協会会長下村宏に宛てた書簡。内容は3月のIOCカイロ総会でひとまず東京開催継続が決定したことと日本の将来に懸念を抱いてるとのこと。5月上旬帰京とあ…
RT @Kokudai_kindais: 【渋沢栄一書簡 榎本武揚宛】 明治28年2月13日 実業家渋谷栄一から農商務大臣榎本武揚に宛てた書簡。内容は西洋紙の需要が増えたので、木曽か紀州大和あたりの山林を調査許可を求めている。渋沢が創立した王子製紙は輸入に頼っていた洋紙を国産化…
RT @Kokudai_kindais: 【松方正義書簡 伊藤博文宛】 〈明治14年〉 10月28日 大蔵卿松方正義から参議伊藤博文に宛てた書簡。「去ル十一日之一挙者、誠ニ為邦家永遠ナル御尽力ニ御座候」とあり、これは開拓使官有物払い下げ中止と大隈重信の参議罷免決定した「明治14…
RT @Kokudai_kindais: 【乃木希典書簡 石黒忠悳宛】 明治38年11月21日 乃木希典が石黒忠悳に宛てた書簡。内容は石黒からの書簡に答えているものと思われる。また、西南戦争、日清・日露で使用した軍銃についても記述がある。石黒は日本の軍医制度を確立した人物であり…
RT @Kokudai_kindais: 【東郷平八郎書簡 大山巌宛】 明治40年6月 海軍軍令部長東郷平八郎が陸軍元帥大山巌に宛てた書簡。書簡では東郷が手に入れた露軍の秘密文章を大山に送るとの記述がある。日露戦役の功績においてこの二人はあまりにも有名であろう。 https:/…

9 0 0 0 OA 原敬書牘 巻六

RT @Kokudai_kindais: 【原敬書牘巻六 原敬書簡 井上馨宛】 大正3年6月18日 政友会の原敬が元老である井上馨に宛てた書簡。内容は政友会総裁の後任が自分(原)になったので支援をよろしくお願いしますとのこと。原はこの4年後大命降下し本格的な政党政治を築き上げた…
RT @Kokudai_kindais: 【西園寺公望書簡 桂太郎宛】明治38年12月30日 立憲政友会に属する西園寺が組閣にあたり、山縣グループに属している桂前首相に宛てた書簡。書簡では両者の組閣調整を見ることができ、山縣有朋の養子である伊三郎を入閣させることを報告している。…
RT @Kokudai_kindais: 【上原勇作書簡 桂太郎宛】大正元年11月17日 上原勇作陸軍大臣が桂太郎前首相に宛てた「二個師団増設問題」に関する書簡。山縣グループは西園寺首相に師団の増設を求めたが、西園寺が拒否したため上原陸相が辞職。さらに陸軍が後任の陸相を出さず内…
RT @Kokudai_kindais: 【近衛文麿書簡 有田八郎宛】昭和16年8月3日 日米交渉が難航していた近衛文麿首相が外交官有田八郎に宛てた書簡。なかには「・・仏印なれば大して故障なかるべしとの見通しが陸海軍共一致したる見解にて此見通しが誤り居り・・」とあり近衛が軍部に…
RT @Kokudai_kindais: 【大隈重信述「憲政ニ於ケル輿論ノ勢力」】 第二次大隈内閣の解散を受け、1915(大正4)年3月25日の第12回衆議院議員総選挙が行われた。この音声資料は大隈侯自身が演説を収めて全国に配布したレコードである。選挙活動にこうしたパフォーマン…
RT @Kokudai_kindais: 【山縣有朋関係文書 田中義一宛】大正10年2月12日「宮中某重大事件」に関する記述が確認できる。久邇宮良子女王(後の香淳皇后)の兄久邇宮朝融王に色覚異常が見られたため良子女王にもその遺伝子があるとして山縣有朋らが皇太子(後の昭和天皇)と…

1787 0 0 0 OA 殖民地要覧

RT @annamdohophu: フォロー外から失礼します。 あなたの教科書への「訂正」に何点か誤りがありますので,指摘いたします。 ①「植民地」について 朝鮮および台湾は戦前の日本政府も植民地としてあつかっていました。 外地統治を担当した拓殖局が発行した『殖民地要覧』(…
RT @nekonoizumi: 昨日見かけた論文、中身見たら色々な意味で凄まじいものだった。 アイドルの比較歴史制度分析を目指し、近現代150年の日本経済の経済循環の長期波動の推移からアイドルシーンの変遷を読み解く「123ページ」の論文。 ⇒平山朝治「アイドル150年 : ア…

お気に入り一覧(最新100件)

「いうまでもなく、中世の寺社は「寺家」「社家」と称されたように何らかの意味で当該集団が家に擬制される性質を持っており、その意味では第二部も「家」論と見なし得るのだが、[…]」(103頁)。https://t.co/LEEbZFLx10
CiNii 図書 - 宇喜多氏関係史料集成 https://t.co/TXAYnoDzjY #CiNii
PDFあり。 ⇒髙橋亮一 「北方海域をめぐる日露戦中・戦後の日本外交―樺太占領と海獣保護を中心に―」 『東洋学報』104巻4号 (2023/3) https://t.co/psTVHvlBCD
拙稿「室町幕府の文書管理―南北朝~室町初期を中心に―」(『アーカイブズ学研究』36、2022年)がダウンロードできるようになりました。正誤表もあります。 https://t.co/E3cZYFWZO8 https://t.co/6EKi0JOHKJ
PDFあり。 ⇒加藤 諭 「歴史研究とアーカイブズの役割」 『薬史学雑誌』58巻1号 (2023) https://t.co/xU3Ii7HSHL
PDFあり。 ⇒小川 剛生 「兼好の居る場所─六波羅探題とその周辺─」 『中世文学』67 (2022) https://t.co/qrniAPyhgZ
太宗が虞世南に編纂を命じた『帝王略論』。作らせたのはいいけど本当に読んだの?という疑問から生まれたのが、拙稿28「唐の太宗は『帝王略論』を読んだのか」(『明大アジア史論集』23,2019)です。太宗の歴史談義と比較した結果、距離感の変化がうかがえました。 https://t.co/1xlZB3OGMO https://t.co/MsMX7IoHbx
佐藤雄基さんの御成敗式目論といえば、「御成敗式目の現代語訳はどうして難しいのか : 立法技術・語彙・本文に関する覚え書き」 はとても面白いので、新書が待ちきれない人は予習をどうぞ。 https://t.co/TyKcpP0NmX
宇文泰の子どもたちは、どんな一族と結婚したのか。北周宗室の婚姻状況の変化を追った論文が、拙稿13「北周宗室の婚姻動向―「楊文愻墓誌」を手がかりとして」(『駿台史学』144、2012年)です。注27であげた「北周七女碑」も地味ながら貴重な石刻史料です。 https://t.co/ur4mFbWhq9
宇文泰や宇文護や楊堅(ついでに隋末の李淵も)が開いた覇府には、どんな幕僚が置かれていたのか。その官名や序列を特定したのが、拙稿10「西魏・北周覇府幕僚の基礎的考察―幕僚の官名・官品(官命)・序列を中心に」(『明大アジア史論集』15、2011年)です。 https://t.co/oNUwO5g1OE https://t.co/R6yxHxnkQf
PDFあり。 ⇒徳永 健太郎 「丹波の石清水八幡宮寺領荘園 -諸国石清水領荘園概説(一)-」 『早稲田大学高等学院研究年誌』第67号 (2023/3) https://t.co/Kq2lxc4T0r
北魏の地方長官(州刺史)にはどんな幕僚がいたのか。その序列は?分かっていそうで分かっていなかった州府僚佐の細部に、504年作成「山公寺碑」の分析を通じて迫ったのが、拙稿07「北魏後半期の州府僚佐ー「山公寺碑」を中心に」(『東洋学報』91-2、2009年)です。 https://t.co/vpp8cVxyWT https://t.co/VqlbBAWlxV
院生時代の代表作の一つが、拙稿04「北周宇文護執政期再考ー宇文護幕僚の人的構成を中心に」(『集刊東洋学』98、2007年)です! 諸史料(正史・石刻・仏典等)の宇文護像の違いを示して正史を相対化し、側近や幕僚の人的構成を検討し、宇文護執政期の再評価を試みました。 https://t.co/Ywv3zhoY84 https://t.co/L9B54ScEa8
2020年度~2022年度若手研究「『水左記』註釈の作成による古代・中世移行期の研究」(研究代表者:磐下徹) https://t.co/bOtXuvDU7B
「デジタルアーカイブ学会誌」2023年第1号 [特集:舞台芸術のデジタルアーカイブ]舞台芸術のデジタルアーカイブにおける将来の課題と展望:Japan Digital Theatre Archivesへの歩み. 中西 智範 https://t.co/f7izAeyAaR
「デジタルアーカイブ学会誌」2023年第1号 [特集:舞台芸術のデジタルアーカイブ]総論:舞台芸術のデジタルアーカイブ. 岡室 美奈子 https://t.co/hUzC0wR8hn
柿沼陽平「魏晋南北朝時代における仏教と剃髪」(『東洋学報』104巻 2号、2022年)のpdf版公開。ハゲや剃髪をめぐる中国古代人と仏僧の熾烈なる争い、その結末やいかに⁉️ https://t.co/5tCpIdWXRh
メモ。大西泰正編著『宇喜多秀家関係史料』(私家版、2022年6月)259頁、図版10頁。所蔵はいまのところ東大史料編纂所だけなので、確認難易度が高そうな一書だ。https://t.co/4PMymAbn8H #こんな論文が出ていたようです
禅宗関係史料頻出語彙リストのようなものがあると助かるなぁと思うことがあるが、PDF公開されてるものだと古賀英彦「禅語録を読むための基本語彙 初稿 」(『禅学研究』64、1985年)が目に入った。 花園大学学術リポジトリからDL可。 https://t.co/Dk0yfGjysX 続編もあり。 https://t.co/MdNsrym6rB
禅宗関係史料頻出語彙リストのようなものがあると助かるなぁと思うことがあるが、PDF公開されてるものだと古賀英彦「禅語録を読むための基本語彙 初稿 」(『禅学研究』64、1985年)が目に入った。 花園大学学術リポジトリからDL可。 https://t.co/Dk0yfGjysX 続編もあり。 https://t.co/MdNsrym6rB
メモ。工藤克洋「秀吉と日吉社・延暦寺復興勧進」(『歴史の広場:大谷大学日本史の会会誌』23、2021年1月)まったく把握できていなかった。最新号まで所蔵しているのはNDLと大谷大学図書館だけという激レア雑誌だ…。https://t.co/mc8EnyBUBD #こんな論文が出ていたようです
PDF公開。川戸貴史「東アジアのなかの中世日本の貨幣」(『千葉経済論叢』66、2022年6月)中世日本の貨幣流通史の成果を整理した論稿。たいへんありがたい。https://t.co/jsoCwRa2V9 #こんな論文がありました
メモ。佐伯弘次編『『室町遺文』の基礎的研究』(科学研究費補助金(基盤研究C)研究成果報告書、2018-2021年度、2022年3月)。133頁もあるということは、同「室町時代の九州の文書」のほかにも論文あるいは資料集が収録されているのかしらん。#こんな論文が出ていたようです https://t.co/BsFyLhPLgy
PDF公開。米谷均「文明八年(一四七六)遣明使の道中日記『三国甕天録』の逸文史料について」(『学習院女子大学紀要』24、2022年3月)用林梵材による文明8年遣明使の道中日記の逸文が、天隠龍沢や横川景三の作成した跋文に引用されていることの紹介。https://t.co/2zsxCqwxYG #こんな論文がありました
奈良平安時代の牛乳や蘇のことが書いてあって、面白そう。 CiNii 論文 -  古代日本の牛乳・乳製品の利用と貢進体制について https://t.co/2zbOUtyiwb #CiNii
『立教史学』5号に「御成敗式目の現代語訳はどうして難しいのか : 立法技術・語彙・本文に関する覚え書き」を書きました。以前、学部のゼミで扱って試訳をつくったのですが、どうにも難しくて、どうして難しいのか、自分なりに考えたことのメモです。リンク先にPDF。https://t.co/VHdvurxfwQ
スマホで本を読むと目が滑る感じがしてどうも文章の理解力が落ちる気がするんだけど、ちゃんとそういうことを分析した論文があるんだよな。やっぱりみんな電子書籍の方が理解力が落ちるらしい。 >表示媒体が文章理解と記憶に及ぼす影響 ―電子書籍端末と紙媒体の比較― https://t.co/No6PbIod9B
大橋直義氏「応永初年ごろの耕雲(子晋明魏)について」(『實踐國文學』100号、2021年10月) 耕雲(子晋明魏)=南朝の花山院長親 #こんな論文が出ていたようです #南朝 https://t.co/AyBAmXO8SE

136 0 0 0 OA 徳川慶喜公伝

慶喜の伝記『徳川慶喜公伝』は東洋文庫全5冊として刊行(同じく劇中の慶喜を囲んで関係者が話を聞いたのをまとめた『昔夢会筆記』も同文庫に入っている)されているが、龍門社刊行のものが国会図書館デジタルでも読める。しかし、栄一の序文、長すぎwww #青天を衝け https://t.co/rT0nRfCiOL https://t.co/3TOYi0R051
調べてたら某番組の内容と関わりそうなことを書いてる論文を見つけたので、興味のある方は是非。 片山正彦2018「大坂冬の陣における堤防の役割ー主に「文禄堤」と京街道を事例として」『交通史研究』93 巻 https://t.co/f139h9msQD
PDF公開。中野顕正「中世前期における當麻曼荼羅縁起の系譜」(『都留文科大学研究紀要』94、2021年10月)流布本縁起『大和国當麻寺縁起』の検討および前期縁起に属する諸文献の系統整理を行い、鎌倉期の前期縁起期における縁起展開の系譜を考察。https://t.co/wTw82PyE13 #こんな論文がありました
本日到着した資料。 表参道(渋谷区神宮前5丁目2番地および同5-9番地附近)にあった前浅野侯爵邸跡の宅地分譲案内。 説明文の中に「芸州侯の屋敷跡」とあるので、もともと浅野家の屋敷地だったようだ。 https://t.co/7LA8eGppSt これ ↑ の「松平安芸守」の部分(狭くなっていたみたいだ)。
PDFあり。 ⇒菅根幸裕 「空也聖の近世~近代における変容について 空也堂と六斎念仏講を中心に」 『千葉経済論叢』64 (2021/6) https://t.co/IPB0VDMRrp
この科研費(https://t.co/xGoGCplull)の成果の一部として出版されます。私も今回、メンバーに入れていただいて準備しています。昭和天皇の生の声が聞けて興味深い史料ですのでぜひお手元に。 昭和天皇『拝謁記』12月から公刊へ 初代宮内庁長官が書き残す | NHKニュース https://t.co/Y2oD7g2XdW
私の論文でリポジトリ―で見ることができるもの。その2 領知宛行制ネタ https://t.co/r7MqRxxew4 以上です(´ー`)
私の論文でリポジトリ―で見ることができるもの。その1 文書焼却ネタ。 https://t.co/f6ynis1pQs
PDF公開。鍛代敏雄「石清水八幡宮所蔵「當宮縁事抄」の解説と影印:中世文書のアーカイブズ学に関する基盤研究」(『東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館年報』12、2021年6月)※リポジトリ版では影印と古文書一覧表が非公開。未刊史料も含まれるらしい。https://t.co/RwTSS0dIq7 #こんな論文がありました
PDFあり。 ⇒大崎洋 「「講」を源流にもつカラオケ喫茶―西三河のモーニング戦争と70代の楽園―」 『愛知大学綜合郷土研究所紀要』66 (2021) https://t.co/pLiZlCZsUf
“CiNii 論文 - 「推し消費」にみる大人女子の消費意識 : インタビュー調査からみえてきた3つの特徴” https://t.co/D2RyUOHajn
“CiNii 論文 - オンラインアイドルフェスという体験 : TIFオンライン2020ライブ視聴記” https://t.co/FepjIZaLBV
PDFあり。 ⇒堀越 祐一 「伊達政宗の絶縁状」 『滝川国文』37巻 (2021) https://t.co/ykrBK4Fpdi
博物館学雑誌にも掩体壕について触れた論文あった CiNii 論文 -  野外平和博物館としての戦争遺跡の意義--掩体壕の活用を通して https://t.co/IiEr5NQCKf #CiNii
尊敬している研究者に評価していただけるのは、素直に嬉しいものです。 https://t.co/Pc7moeXEMJ
中尾 和昇 - 『敵討身代利名号』 : 翻刻と解題(上) https://t.co/Qo5B9NwUu4
長濱・森田(2017)によれば「2倍速でも学習効果は変わらない」とのことです。https://t.co/1TScbrX26C https://t.co/ZC4AsMnyWD https://t.co/WNTgSyXx7B
荘園を「私的大土地所有」として理解するのは間違い!という記事。歴史学ではとっくに覆された見解が今も生き残っている理由に関する考察もされている。大変勉強になりました。 岡野 友彦「日本の荘園はなぜ教えにくいか」 https://t.co/ZoB0NQwCbK https://t.co/jp5DgF5tfR
戦闘美少女と魔法 : 「セーラームーン」と「プリキュア」に見る魔法の意味 https://t.co/72eDLqSZBJ ポップカルチャーにおける神社・巫女に関する考察 https://t.co/dypYosYHb3
戦闘美少女と魔法 : 「セーラームーン」と「プリキュア」に見る魔法の意味 https://t.co/72eDLqSZBJ ポップカルチャーにおける神社・巫女に関する考察 https://t.co/dypYosYHb3
エドワード・ベアリング「これ以上、歴史を語らないで──デリダと哲学史の問題」松田智裕訳、前掲『人文学報』517-15号、73頁。https://t.co/iFckSev27e
中世における海上氏の専論として、 石渡洋平「戦国期下総海上氏の展開と動向 : 一族・家中・領域支配」(『駒沢史学』83、2014年) が挙げられます。機関リポジトリでPDF公開されております。 https://t.co/NK8IAkiPWM
青山学院大学文学部附置人文科学研究所『文学部附置人文科学研究所報告』2号(2021年3月)に、小宮京「「雑誌を用いた日本現代史研究」について」を寄稿しました。「『nicola』小史」『史友』52号(2020年)https://t.co/ygpBXE21nt の要約と、その後に確認した初期の号について、追記しました。

9 0 0 0 OA 月照物語

西郷隆盛が博多の福萬醤油に来た虚説ですが、「体が大きい人」が来たとの白木家の伝承が唯一の根拠です。体の大きい人がイコールで西郷になのか?答は自明の理ですね。この虚説流行してるので、西郷が月照と別行動であった史料的典拠を2冊紹介します https://t.co/H4zuHW2s7r https://t.co/ehO0S5RFW6
西郷隆盛が博多の福萬醤油に来た虚説ですが、「体が大きい人」が来たとの白木家の伝承が唯一の根拠です。体の大きい人がイコールで西郷になのか?答は自明の理ですね。この虚説流行してるので、西郷が月照と別行動であった史料的典拠を2冊紹介します https://t.co/H4zuHW2s7r https://t.co/ehO0S5RFW6
「国際日本研究」コンソーシアム記録集2020『環太平洋から「日本研究」を考える』を日文研オープンアクセス上で公開しました。コロナ禍直前の2019年12月、環太平洋地域および日本の研究者が一堂に集い交わした議論を収録。リンクはこちら: https://t.co/edBh96wMVe https://t.co/DWXcFdU1Rl
メモ。竹田直「安芸毛利氏奉行人の連署順に関する考察」(『大谷大学史学論究』25、大谷大学文学部歴史学科編、2020年3月)https://t.co/JZqaMjyzM4 #こんな論文が出ていたようです
毎度の如く浅学をさらして大恥をかいてしまったが、 石田実洋「史料集と字体」(『古文書研究』63、2007年) についてご教示をいただいた。近日中にコピーしたい。 https://t.co/U9rUnKvxBO
@taigatoratorato これは卒論指導を飛び越え、一部は修論指導の域にも入っていますが、ライタの東の史料論は大体こうしたことを行います。オーストリアは、10数年前、武藤さんら有志と原典史料講読会を開いて、概念と解釈の検討を重ねてました。https://t.co/pZJfo0cXNN
PDF公開。鍛代敏雄「石清水八幡領陸奥国岩城郡好嶋庄:「飯野家文書」の再検討」(『東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館年報』11、2020年6月)本所石清水八幡宮の立場から「飯野家文書」を再検討。関係文書を抽出、文書名を修正し、新たな事実を指摘。https://t.co/BiwmOgbH9Q #こんな論文がありました
PDFあり。 ⇒堀岡喜美子 「祭礼神幸と巫女の現出:「「巫女」とは何か」をめぐっての一考」 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (48) (2020-3) https://t.co/UC5pF4fVMd
この論文タイトルのセンスが良すぎる… 島田泰子「副詞「なんなら」の新用法 : なんなら論文一本書けるくらい違う」 https://t.co/FnkvzEv87E https://t.co/Vlpi1rPCsa
これデビュー論文なんですが、中村武生で検索したら引っかかれへんのですわ。なぜなら名前が誤っているから。サイニーにこれ訂正依頼でけへんのですか。「京都惣曲輪「御土居」跡の推定」 https://t.co/U2OO1BIgIG
メモ。丸山彩織「『権記』からみる摂関期の有職故実」(『上越社会研究』31、上越教育大学社会科教育学会、2016年10月)4年前の論文。知らなかった。https://t.co/LtN1dNNYoU #こんな論文が出ていたようです
【PR】ちなみに、そのような問題意識で書いた論文はこちらで閲覧できますhttps://t.co/zhhbuezMut。
科研費成果報告書「「農業・牧畜境界地帯」から構築する新しいユーラシア史像の試み」(研究代表者・森部豊、2015年) https://t.co/YEvJ3z8F8p
そういえば、ハンコというものの「あいまいさ」についてはやっぱりこのあたりを読んで考えたいですよね。CiNii 論文 -  永井和「太政官文書にみる天皇万機親裁の成立--統帥権独立制度成立の理由をめぐって」 https://t.co/3QvxiUn5iz #CiNii
PDFあり。 ⇒松浦正孝 「田中義一内閣(1927.4.20-1929.7.2)論 : 「政党内閣」におけるビジネスと政治」 『立教法学』101 (2020) https://t.co/CbXtUNbj26

18 0 0 0 OA 柳田國男と仏教

PDFあり。 「柳田國男が仏教を嫌っていたとするのは、単なる俗説であって真実ではない。」 ⇒高見寛孝 「柳田國男と仏教」 『二松學舍大學論集』63号(2020-3) https://t.co/uvJG7nYElk
この書評への反論のこの部分、私は日本史の人から、単行本収録でも初出雑誌があるならその刊行年は書くべしと教わってそのようにしてます。 https://t.co/2XBAi0qurg https://t.co/KLv9WEN6oQ
〈用言連体形+之+体言〉の句形、小林芳規「「花を見るの記」の言い方の成立追考」(『文学論藻』14、東洋大学文学部日本文学文化学科編、1959年)など国語学のほうでは「之」字を不読とするらしい。花園天皇日記研究会「『花園天皇日記(花園院宸記)』訓読と注釈」で知った。https://t.co/GqIIL8QZ1H
CiNii 論文 -  平安鎌倉時代の漢籍訓点資料に於ける文末の「之」字について https://t.co/gDSkHbOfh5 #CiNii
2018年10月大阪大谷大学博物館にて開催された「大阪陣屋サミット」の発表と討論の要旨がPDF公開。 #PDF公開城郭論文 馬部隆弘・中西裕樹・田村正孝・吉井克信・尾谷雅彦・若林幸子「大阪陣屋サミット ー陣屋の魅力と歴史的価値ー」(『大阪大谷大学歴史文化研究』19、2019年) https://t.co/ZiOnsmcjl4
PDF公開。佐藤耕太郎「『塵芥集』から探る奥羽の自力救済社会」(『国士舘史学』22、2018年3月)「塵芥集」から戦国期の奥羽における村落の「自力救済」体系を他分国法と比較・検討。村落が自身の運営上の問題にどれほど主体的に解決したかを探る。https://t.co/4EHJJEN6tZ #こんな論文がありました
【書簡巻物「心香辤芳」 島崎藤村書簡 立川雲平宛】 明治44年5月27日 小説家島崎藤村が長野県会議員や衆議院議員を務めた佐久の政治家立川雲平に宛てた書簡。内容は藤村が小諸義塾の関係者の消息を訪ねている。立川は藤村の『破戒』に出てくる市村代議士のモデルである。 https://t.co/5PG0JT7jHA https://t.co/6pOFKsiFaD
【犬養毅書簡 牧野伸顕宛】 〈大正末期頃〉7月6日 犬養毅が牧野伸顕に宛てた書簡。書簡の中では犬養が原田庄左衛門という人物を牧野に紹介している。犬養は「憲政の常道」最後の首相であり、「五・一五事件」の様子は木戸日記、原田日記、牧野日記等から見ることができる。 https://t.co/rP9v7JJCm6 https://t.co/oRlDdDzGDI
【倉富勇三郎書簡 金子堅太郎宛】 大正15年5月12日 倉富勇三郎が金子伯に宛てた書簡。内容は倉富が枢密院議長となったが病の為ご挨拶が遅れたとのことを謝している。倉富の日記『倉富勇三郎日記』は大正末期から昭和初期の政治情勢を知る上で需要な史料である。 https://t.co/eXZ3noS7cF https://t.co/HchzOLHlbc
【蹇蹇余録草稿綴】 明治28年 日清戦争時の外相陸奥宗光が開戦から日清講和条約批准までの記録を綴ったのがこの『蹇蹇録』である。外交史・日清戦争に関する史料としては一級である。本史料は「草稿」であるため書き込みが多くみられる。 上巻https://t.co/EApdjvyrPS 下巻https://t.co/8cu5WEavL3 https://t.co/xkDNYxJbNx
【蹇蹇余録草稿綴】 明治28年 日清戦争時の外相陸奥宗光が開戦から日清講和条約批准までの記録を綴ったのがこの『蹇蹇録』である。外交史・日清戦争に関する史料としては一級である。本史料は「草稿」であるため書き込みが多くみられる。 上巻https://t.co/EApdjvyrPS 下巻https://t.co/8cu5WEavL3 https://t.co/xkDNYxJbNx
【有栖川宮熾仁書簡 陸奥宗光・柳原前光宛】 明治9年7月24日 元老院議長有栖川宮熾仁親王が陸奥宗光・柳原前光らに宛てた書簡。内容は芝離宮(現東京都港区)に「三條(実美)岩倉(具視)之両大臣木戸大久保伊藤之三参議・・」を招いて宴会を開くというもの。 https://t.co/r4yt2eXDTf https://t.co/v0Y2Op804I
【秋山真之書簡 斎藤実宛】明治35年1月25日 海軍軍人秋山真之が海軍総務長官斎藤実に宛てた書簡。史料には米国海軍拡張計画の経過を報告し「…吾海軍拡張案に対シ多少ノ御参考ト可相成ト存候…」と述べている。日本海軍拡張計画には日本海海戦で有名な「三笠」も含まれていた https://t.co/Pk0BQKUEVq https://t.co/kaEajFBG8I
【鳩山一郎書簡 安藤正純宛】 昭和15年9月2日 鳩山一郎が立憲政友会の政治家安藤正純に宛てた書簡。内容は「新体制」について不満を抱いていることが読み取れる。鳩山と安藤は大政翼賛会に参加せず非推薦で立候補し当選した政治家であった。 https://t.co/XI97zmeYKm https://t.co/aOP3nwTrMy
【岩崎弥太郎書簡 上野景範宛】 〔明治10年〕3月4日 三菱財閥の創始者岩崎弥太郎が英国特命全権公使上野景範に宛てた書簡。前半の内容は英国へ留学する三菱社員の子息2名の庇護について書かれており、後半は西南戦争の戦況について述べられている。また上野は薩摩出身である。https://t.co/8yplyu5xaL https://t.co/qpUtWjDfh4
CiNii 論文 -  中学校歴史教科書における「元寇」記述についての比較研究 https://t.co/ZhEvh4h4tr #CiNii
【粛軍ニ関スル意見書】 昭和10年7月11日 この史料は、皇道派の村中孝次(陸軍歩兵大尉)・磯部浅一(陸軍一等主計)が士官学校事件やそれ以前のクーデター未遂事件を暴露した「怪文書」である。この「怪文書」は永田鉄山暗殺事件の犯行者相沢三郎にも影響を与えた。 https://t.co/qcuigB49Bg https://t.co/BhApvece24
【尾崎行雄書簡 森本確也宛】 〈明治25年〉5月17日 尾崎行雄が支援者の森本確也に宛てた書簡 「今回の事は立憲制度進歩の一段階と存候藩閥政府の命脈も日々に短縮致候ハ國家のため慶賀すべき次第に御座候」とある。今回の事とは政府による選挙干渉が問題化したのことである。 https://t.co/5EK359Kdzt https://t.co/s6789WL62i
【嘉納治五郎書簡 下村宏宛】 昭和13年4月4日 東洋初のIOC委員嘉納治五郎が大日本体育協会会長下村宏に宛てた書簡。内容は3月のIOCカイロ総会でひとまず東京開催継続が決定したことと日本の将来に懸念を抱いてるとのこと。5月上旬帰京とあるが嘉納は帰国中肺炎で亡くなった。 https://t.co/CsmhYJiwn0 https://t.co/CLHPX4dLdK
【渋沢栄一書簡 榎本武揚宛】 明治28年2月13日 実業家渋谷栄一から農商務大臣榎本武揚に宛てた書簡。内容は西洋紙の需要が増えたので、木曽か紀州大和あたりの山林を調査許可を求めている。渋沢が創立した王子製紙は輸入に頼っていた洋紙を国産化することであった。 https://t.co/NVLQM0tkAy https://t.co/OZ8Ahs54Su
PDF公開。菅野扶美「藤原広兼進納『菅家文草』と院政期北野天神信仰」(『共立女子短期大学文科紀要』63、2020年1月)藤原広兼の事跡および「菅家文草」などの書写過程を検討。奉納する際の祈念から院政期北野天神信仰を有り様を考える。https://t.co/DHRWLiw4tZ #こんな論文がありました
【松方正義書簡 伊藤博文宛】 〈明治14年〉 10月28日 大蔵卿松方正義から参議伊藤博文に宛てた書簡。「去ル十一日之一挙者、誠ニ為邦家永遠ナル御尽力ニ御座候」とあり、これは開拓使官有物払い下げ中止と大隈重信の参議罷免決定した「明治14年の政変」のことだと思われる。 https://t.co/TZXfilE3MT https://t.co/ZOhPrq7vdT
【乃木希典書簡 石黒忠悳宛】 明治38年11月21日 乃木希典が石黒忠悳に宛てた書簡。内容は石黒からの書簡に答えているものと思われる。また、西南戦争、日清・日露で使用した軍銃についても記述がある。石黒は日本の軍医制度を確立した人物であり、森鴎外の上官でもあった。 https://t.co/uKr16ekN8m https://t.co/oeP0aYbjlt
【東郷平八郎書簡 大山巌宛】 明治40年6月 海軍軍令部長東郷平八郎が陸軍元帥大山巌に宛てた書簡。書簡では東郷が手に入れた露軍の秘密文章を大山に送るとの記述がある。日露戦役の功績においてこの二人はあまりにも有名であろう。 https://t.co/jzHVGdo1Ek https://t.co/DZlSNwWGkr

9 0 0 0 OA 原敬書牘 巻六

【原敬書牘巻六 原敬書簡 井上馨宛】 大正3年6月18日 政友会の原敬が元老である井上馨に宛てた書簡。内容は政友会総裁の後任が自分(原)になったので支援をよろしくお願いしますとのこと。原はこの4年後大命降下し本格的な政党政治を築き上げた。 https://t.co/juTGty07qA https://t.co/qfFPid5lSF

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