かのう。@優勝できなかった人間 (@kanoh_1975)

投稿一覧(最新100件)

RT @mizukami_jidai: 以前報告したニシヅキサヲナさん@nemuri_uwoご提供の資料を元に執筆した拙論「ミッシングリンクとしての『代作』―徳田秋聲の新出資料『銭屋五兵衛』の射程」が立教のリポジトリで読めるようになりました。多少マニアックですが肩肘張らずに読め…
RT @mizukami_jidai: 秋聲の師匠の尾崎紅葉が三越百貨店のPR雑誌「花ごろも」(明治32年創刊)に関わっていたように、戦前の作家と百貨店文化のゆかりは深いのですよね。当時の作家たちがどのような立場であったかわかる現象です。>RT そのあたりのことは前任校時代に少…
RT @euphoniumG59: お司書ー!!お司書ー!! 研究者の方が朗読CDを聞いて書かれた論文がフリーでアップされたよー!!!! https://t.co/DNlU15bfhl
RT @NDLJP: 『多情多恨』『金色夜叉』などの作品で知られる明治時代の作家、尾崎紅葉は、24歳で児童文学『鬼桃太郎』を発表しました。有名な昔話『桃太郎』の後日譚を、紅葉は鬼の視点からユーモアあふれる筆遣いでとらえています。 https://t.co/g2MT7NX9sB…

8 0 0 0 OA 蘆花の芸術

RT @kameiasami: 【徳田秋聲と徳田秋江】 「『自然と人生』について、徳田秋聲が大正三年六月の『中央公論』の『徳富蘆花論』の寄稿家の一人として、かう書いてゐる。『丁度十年間私は此の書を座右に離さない。決して誇張ではない。」 前田河広一郎『蘆花の芸術』(興風館、昭和1…

14 0 0 0 OA 日本一周

RT @tayamakatai1213: WEB連載「ほんのひととき」にて、花袋の『日本一周』が紹介されています

5 0 0 0 OA 一つの石

RT @kameiasami: に描かれた人生は、その時になつて、その翳の細かい所まで私に分るやうな気がした。押しつめた描写にも底光りのするやうな物があつた〉 青野季吉「「黴」と「微光」」(『一つの石』有光社、昭和18年7月)。 https://t.co/oH3AWT7vNH…
RT @kameiasami: 日本文章学院編『通俗新文章問答』(新潮社、大正2年6月)より。 https://t.co/H9LZkrVcaF 秋聲の肖像は大正初年頃の家族写真から採られているので、数えで42歳くらいでしょうか。若いですね。 #田山花袋 #国木田独歩 #島崎藤…

3 0 0 0 OA サフオ

RT @kameiasami: 【献辞】 「徳田秋聲兄に献ず」 アルフオンス・ドオデエ作、武林無想庵訳『サフオ』新潮社、大正2年。 https://t.co/5vLdDSBgax 徳田秋聲全集年譜に、明治45年6月28日、「武林無想庵から、サフオ訳の単行本を出す出版社を紹介し…

25 0 0 0 OA 人間見物

RT @kameiasami: 【徳田秋聲の『闇の花』を読むチャブ屋の女】 〈お俠らしい女は、徳田秋聲の『闇の花』を下に置いて、 『私、ウヰスキー飲みたいわ。ね、宜いでせう、一杯位……』 と云つたりした〉 松崎天民「チヤブ屋探訪」(『人間見物』騒人社書局、昭和2年11月)より。…

4 0 0 0 OA 人生の窓

RT @kameiasami: やはり此の戸塚村で、時代もその前後だつた。彼は久しく相思の間柄であつた高仲亂菊といふ文学少女と結婚したが、その媒酌には同郷の先輩生田長江氏と、先輩徳田秋聲氏に立つてもらつた」 須藤鐘一「明治文壇垣間覗」(『人生の窓』東華書房、昭和17年6月) h…

5 0 0 0 OA 絶望の逃走

RT @kameiasami: (『絶望の逃走』第一書房、昭和10年10月) https://t.co/aPBQHxnql4 朔太郎が挙げている文学者たちが本当にそうかは少々疑問です。例えばツルゲーネフは日本の自然派に多大な影響を与えたけれど、自然主義作家ではないですし、若い…
RT @euphoniumG59: ちなみにこちらの論文は、川端康成文学館の2018年のタイアップの際にいろいろ本気の展示をしてくださった学芸員さんが書かれたものです。 J-STAGE Articles - 「文豪とアルケミスト」と文学館 https://t.co/9Cj9XT…

18 0 0 0 OA 文芸評論

RT @catsummer: 文劇4を見た人にはこの『尾崎紅葉について』なんかもおすすめ。「文壇的に虐殺」ってすごいものいいだな…… https://t.co/lVB1vMuuxR https://t.co/IMf1knNgv0

18 0 0 0 OA 文芸評論

RT @mizukami_jidai: 後半の内容は秋聲の順子もの「元の枝へ」と藤村の「嵐」が同時期に出て話題になったときですね。たとえば正宗白鳥も『文芸評論』収録の時評「『嵐』と『元の枝へ』」で両作を比較して論じています。 https://t.co/GvcBzj1Djo

3 0 0 0 OA 蘆花伝

RT @kameiasami: せた。健次郎は、翌日それを返送した。そして『小説の稿料は、秋聲君、花袋君並にして、月末月末に回数に応じて御計算願ひたく、それ以上は侮辱を感じ申候」と云つて遣つた〉 前田河広一郎『蘆花伝』(興風館、昭和22年11月)559-560頁 https:/…

5 0 0 0 OA 新文学辞典

RT @kameiasami: 生田長江 等編『新文学辞典』新潮社、大正7年3月。 「だ調とです調」の項の筆者が徳田秋聲 https://t.co/baZTHWlP9D 「とさ文体」の項の筆者が徳田秋聲 https://t.co/hqjVQcZ6dK いずれもこれより後…

5 0 0 0 OA 新文学辞典

RT @kameiasami: 生田長江 等編『新文学辞典』新潮社、大正7年3月。 「だ調とです調」の項の筆者が徳田秋聲 https://t.co/baZTHWlP9D 「とさ文体」の項の筆者が徳田秋聲 https://t.co/hqjVQcZ6dK いずれもこれより後…
RT @tuyashun: 明治の女学生が自分のことを「僕」ということがあり、その言葉遣いに対する当時の批判が掲載されてる論文。明治期特有の女言葉にばかり着目してたから「僕」ということがあったことに驚いた。女子も漢語を学んだ影響のようだ。 『女学生の言葉遣いに対する社会的意識…
RT @kinoboriyagi: 水害にあった紙資料がカビにやられる前に素早く脱水するスクウェルチ・パッキング法、博物館関係者用の資料だけど、知っておいたら役に立つ場面がありそうな気がする。 元資料のダウンロードはこちら→https://t.co/6GxcZUuZXc htt…

お気に入り一覧(最新100件)

以前報告したニシヅキサヲナさん@nemuri_uwoご提供の資料を元に執筆した拙論「ミッシングリンクとしての『代作』―徳田秋聲の新出資料『銭屋五兵衛』の射程」が立教のリポジトリで読めるようになりました。多少マニアックですが肩肘張らずに読めると思いますのでよろしければ。 https://t.co/CBdodGDXEB
秋聲の師匠の尾崎紅葉が三越百貨店のPR雑誌「花ごろも」(明治32年創刊)に関わっていたように、戦前の作家と百貨店文化のゆかりは深いのですよね。当時の作家たちがどのような立場であったかわかる現象です。>RT そのあたりのことは前任校時代に少し書いたことがあります https://t.co/sxPDH8FlmO
お司書ー!!お司書ー!! 研究者の方が朗読CDを聞いて書かれた論文がフリーでアップされたよー!!!! https://t.co/DNlU15bfhl
『多情多恨』『金色夜叉』などの作品で知られる明治時代の作家、尾崎紅葉は、24歳で児童文学『鬼桃太郎』を発表しました。有名な昔話『桃太郎』の後日譚を、紅葉は鬼の視点からユーモアあふれる筆遣いでとらえています。 https://t.co/g2MT7NX9sB https://t.co/wZCaKoEdqf

8 0 0 0 OA 蘆花の芸術

【徳田秋聲と徳田秋江】 「『自然と人生』について、徳田秋聲が大正三年六月の『中央公論』の『徳富蘆花論』の寄稿家の一人として、かう書いてゐる。『丁度十年間私は此の書を座右に離さない。決して誇張ではない。」 前田河広一郎『蘆花の芸術』(興風館、昭和18年11月)。 https://t.co/l0CmJBhGBM
中央公論社の嶋中雄作が近松秋江への援助を決めた「二七会」については下記の先行研究に詳しいです(少し前に結膜炎になった人より。目はお大事に)。 https://t.co/fienulovIY https://t.co/SxEjSlLUjO

5 0 0 0 OA 一つの石

に描かれた人生は、その時になつて、その翳の細かい所まで私に分るやうな気がした。押しつめた描写にも底光りのするやうな物があつた〉 青野季吉「「黴」と「微光」」(『一つの石』有光社、昭和18年7月)。 https://t.co/oH3AWT7vNH 新聞連載は『足迹』が先ですが、単行本は『黴』の方が先なので、
日本文章学院編『通俗新文章問答』(新潮社、大正2年6月)より。 https://t.co/H9LZkrVcaF 秋聲の肖像は大正初年頃の家族写真から採られているので、数えで42歳くらいでしょうか。若いですね。 #田山花袋 #国木田独歩 #島崎藤村 #徳田秋聲 #正宗白鳥 https://t.co/YUj2fd0Klw
https://t.co/8n1nYeclTP 単行本『爛』(新潮社)の刊行は大正2年7月15日付で、徳田秋聲全集年譜には16日に神楽坂東陽軒で出版記念会が開かれたとあります(但し「たゞれの会」とは書かれていません)。 参加者は、徳田秋聲、上司小剣、滝田樗陰、中村武羅夫、小川未明、岩野泡鳴、正宗白鳥、

7 0 0 0 OA 鴎外全集

新小説にも如此作無し〉 「雲中語(露伴 緑雨 学海 鷗外 篁村 紅葉 思軒)」(「鷗外全集」第2巻、大正13年10月)より。 https://t.co/VCBHLyikjy ※引用元は『都おち』⦅六⦆。用字は秋聲の原典と若干異なります。

35 0 0 0 OA 浅草経済学

ある。それから二三月も続いたが、遂に東京倶楽部を見物したのを最後として立ち消えになつて終つたのである」 石角春之助『浅草経済学』(文人社、昭和8年6月)より。 https://t.co/IyIo1osQhg そんな会に秋聲が属していたとは初めて知りました(短い期間だったとのことですが)。

3 0 0 0 OA サフオ

【献辞】 「徳田秋聲兄に献ず」 アルフオンス・ドオデエ作、武林無想庵訳『サフオ』新潮社、大正2年。 https://t.co/5vLdDSBgax 徳田秋聲全集年譜に、明治45年6月28日、「武林無想庵から、サフオ訳の単行本を出す出版社を紹介してくれないかと依頼してくる。その後、新潮社へ同行、紹介する。大正二年

25 0 0 0 OA 人間見物

【徳田秋聲の『闇の花』を読むチャブ屋の女】 〈お俠らしい女は、徳田秋聲の『闇の花』を下に置いて、 『私、ウヰスキー飲みたいわ。ね、宜いでせう、一杯位……』 と云つたりした〉 松崎天民「チヤブ屋探訪」(『人間見物』騒人社書局、昭和2年11月)より。 https://t.co/optzswHJqe

4 0 0 0 OA 人生の窓

やはり此の戸塚村で、時代もその前後だつた。彼は久しく相思の間柄であつた高仲亂菊といふ文学少女と結婚したが、その媒酌には同郷の先輩生田長江氏と、先輩徳田秋聲氏に立つてもらつた」 須藤鐘一「明治文壇垣間覗」(『人生の窓』東華書房、昭和17年6月) https://t.co/NqvZduiyaz
ちなみにこちらの論文は、川端康成文学館の2018年のタイアップの際にいろいろ本気の展示をしてくださった学芸員さんが書かれたものです。 J-STAGE Articles - 「文豪とアルケミスト」と文学館 https://t.co/9Cj9XTob3k

18 0 0 0 OA 文芸評論

文劇4を見た人にはこの『尾崎紅葉について』なんかもおすすめ。「文壇的に虐殺」ってすごいものいいだな…… https://t.co/lVB1vMuuxR https://t.co/IMf1knNgv0

18 0 0 0 OA 文芸評論

後半の内容は秋聲の順子もの「元の枝へ」と藤村の「嵐」が同時期に出て話題になったときですね。たとえば正宗白鳥も『文芸評論』収録の時評「『嵐』と『元の枝へ』」で両作を比較して論じています。 https://t.co/GvcBzj1Djo

5 0 0 0 OA 新文学辞典

生田長江 等編『新文学辞典』新潮社、大正7年3月。 「だ調とです調」の項の筆者が徳田秋聲 https://t.co/baZTHWlP9D 「とさ文体」の項の筆者が徳田秋聲 https://t.co/hqjVQcZ6dK いずれもこれより後の刊行になる代作『日本文章史』(松陽堂、大正14年4月)63頁と41頁に同文あり。 しかし、それに

5 0 0 0 OA 新文学辞典

生田長江 等編『新文学辞典』新潮社、大正7年3月。 「だ調とです調」の項の筆者が徳田秋聲 https://t.co/baZTHWlP9D 「とさ文体」の項の筆者が徳田秋聲 https://t.co/hqjVQcZ6dK いずれもこれより後の刊行になる代作『日本文章史』(松陽堂、大正14年4月)63頁と41頁に同文あり。 しかし、それに
明治の女学生が自分のことを「僕」ということがあり、その言葉遣いに対する当時の批判が掲載されてる論文。明治期特有の女言葉にばかり着目してたから「僕」ということがあったことに驚いた。女子も漢語を学んだ影響のようだ。 『女学生の言葉遣いに対する社会的意識の変化』 https://t.co/LYVoiA78XV

121 0 0 0 OA 文芸当座帳

菊池寛「島田清次郎を憫む」 https://t.co/TRgRKWEuxo 国立国会図書館デジタルコレクションより https://t.co/YOBMzsoMgg

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