掃部助(かもんのすけ)第1529代DDT・アイア (@ohtono1972)

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RT @muku_ukaitA: 読了!忠勝公から明治維新に至るまで(!)の本多平八郎家の忍者事情ー! 上田哲也 . 研究ノート本多家の忍びに関する基礎的研究 . 2022 年 第5 号 p. 1-14 https://t.co/2JPNWfx9Ms
RT @BSJ_pr: 矢田部先生(田邊教授のモデル)が #植物学雑誌 に出した宣言「A few Words of Explanation to European Botanists」(1890 年)はこちらです。 #あさドラらんまん #らんまん (資料リンク) https:…
RT @BSJ_pr: 矢田部先生(田邊教授のモデル)によるキレンゲショウマ (Kirengeshoma palmata Yatabe)の報告(1890)も英文で #植物学雑誌 に掲載されています。 #あさドラらんまん #らんまん (資料リンク) https://t.co/v…
RT @lalan1858: 「江戸藩邸毎日記」が、去年、家からでも閲覧できるようになっていたのか。 関連してメモのため、↓これも貼っておきます。 「対⾺宗家文書の可能性」 https://t.co/8jt1Z0te3g
RT @Oggi_Kenkou: 「変は成功したとき、乱は失敗したとき」という説があり、プリゴジンの乱とかワグネルの乱とか失敗前提かよ… と、私も思っていましたが、実際は成功した乱も失敗した変もある。乱と変の違いは成否ではない。 https://t.co/jfmkOyOQbi
RT @deepseaMOTHER: しんかい6500の耐圧穀はすごいぞ https://t.co/tag4l86Ho6 https://t.co/iDzvU40Igm

5 0 0 0 OA 字名保存論

RT @sarasvati635: 『字名保存論(山本徳三郎、1921)』 https://t.co/pChyx8IyJd >各戸長の提出せる『字小字書出帳』『新舊對象字區域要圖』などは絶對的火災豫防の出來る精巧な土藏か穴藏に仕舞込んで置かれたいものである。 関東大震災が起…

40 0 0 0 OA 言継卿記

RT @ecohis: @1059kanri これですね、永禄十二年十一月十二日(193コマ目) https://t.co/bS9i1CO0UP
RT @zasetsushirazu: 大正2年2月17日、坂崎紫瀾(坂崎斌)が死去。坂本龍馬を主役に据えた小説『汗血千里の駒』の作者で、瑞山会の『維新土佐勤王史』の執筆も担当した。知野文哉「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)は、土佐の維新史を語る上での坂崎の…
RT @zasetsushirazu: 明治5年11月16日(1872年12月16日)、岩倉使節団がパリに到着。福井憲彦「岩倉使節団の見たパリ」(『学習院史学』34)は、使節の一員だった久米邦武の『米欧回覧実記』にパリがどのように描かれているか、また当時のパリがどんな状態だった…

2 0 0 0 OA 今昔之三谷

RT @223playmount: 乃木将軍像については『今昔之三谷』p.205~に詳しい。岡崎の石材が使われており、制作者も岡崎の三浦善吉。大正9年4月21日に除幕式が行われている。 国会図書館デジタルコレクション『今昔之三谷』 https://t.co/J9AZad6QA…
RT @a_iijimaa1: 前にも紹介した1931年の科学演劇(小学校理科)脚本。全部で30本の脚本があり、思わず笑っちゃう落語風のものもあれば、『青い鳥』を思わせるものや、ロシア民話風のものもあって、とても面白い。1本15分くらいで上演できる感じ。 https://t.c…
RT @zasetsushirazu: 安政5年7月16日(1858年8月24日)、島津斉彬が死去。西郷隆盛が慕った薩摩藩主で、田村省三「薩摩藩における蘭学受容とその変遷」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116)曰く、斉彬は「優秀な蘭学者たちと交流しながら蘭書を翻させ、その知識…
RT @224_miyano: この資料(床板さんに教えて頂きました)の11頁に 「本多美濃守(忠政)平方辺陣取、乱妨狼藉堅く禁制聞こし召され甚だ御感と云々」 …と本多忠政が敵地での略奪を禁じていたことが書かれてます https://t.co/KkhMTB5Ovx
RT @yashuzenmon: この取り合わせ、やっぱりお坊さんと「稚児」だよねえ。若宮八幡宮別当を兼ねた三宝院の誰かかな?この坊さん。そしてその稚児。 「足利将軍若宮八幡宮参詣絵巻」第8紙 https://t.co/cR3PM0rtTN https://t.co/nTc4z…
RT @zasetsushirazu: 昭和43年(1968年)4月21日、『ウルトラセブン』第29話「ひとりぼっちの地球人」が放送された。プロテ星人が登場。学習院大学が撮影に使われた回で、天皇陛下が徳仁親王時代に、講演「目白キャンパスの思い出」(『学習院大学史料館紀要』16、…

5 0 0 0 OA 本朝通鑑

RT @YuudukiHigure: 尊氏田楽耽溺の件はここか。 ちょいと解読に自信はないけど、大雑把に記述眺めると太平記の影響がかなり色濃く出てそうな感じかね。 https://t.co/WrWQLZQJjk

48 0 0 0 OA 関ケ原

RT @noimago: 「捨伏(すてがまり)」が登場する、直木三十五の『関ヶ原』。https://t.co/KfBOjdAlml これは昭和7年に春陽堂から刊行された版だが、前年の昭和6年に早稲田大学から刊行されているようなので、できればそちらも確認したい。

14 0 0 0 OA 一遍聖繪

RT @toshiitoh: 国立国会図書館デジタルコレクションから「一遍聖絵」が見られる。写本だけど拡大できるので面白い。https://t.co/P9TfujNf0l
RT @Tadashi_Imafuku: 米短・薗部先生の「看聞日記」現代語訳18がアップされました。 https://t.co/fKBmRb9gln
RT @merontomikan: なんかバズっている!300いいねを超えそう!Twitter始めて以来初めて
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RT @merontomikan: 戦国期土岐・後斎藤氏の美濃支配 : 用水相論を事例にThe Domination of Mino Province by the Toki Clan and the Go-Saitoh Clan in the Sengoku Period :…

お気に入り一覧(最新100件)

ちなみにいつまでたっても「日本の性犯罪は暗数が多く欧米と比べても遜色ない性犯罪がおこっているんだ」という人、マジで龍谷大学のある教授がめっちゃ手間かけて研究した事例とかあるのにガン無視だもんなぁ。 https://t.co/cGzAotP9aU
読了!忠勝公から明治維新に至るまで(!)の本多平八郎家の忍者事情ー! 上田哲也 . 研究ノート本多家の忍びに関する基礎的研究 . 2022 年 第5 号 p. 1-14 https://t.co/2JPNWfx9Ms
矢田部先生(田邊教授のモデル)によるキレンゲショウマ (Kirengeshoma palmata Yatabe)の報告(1890)も英文で #植物学雑誌 に掲載されています。 #あさドラらんまん #らんまん (資料リンク) https://t.co/vI3QgOccvI https://t.co/KaV09XgyLA
矢田部先生(田邊教授のモデル)が #植物学雑誌 に出した宣言「A few Words of Explanation to European Botanists」(1890 年)はこちらです。 #あさドラらんまん #らんまん (資料リンク) https://t.co/76l4vSqgB4 https://t.co/rswc4bG9Nb
この前、歴史の話がバズった時、もっと詳しく知りたいという方が沢山おりましたので、参考になる資料について。 帝国書院の日本史通覧に、水銀犠牲者と最古の公害についての記述があります。 大仏造営と水銀中毒の関係の科学的分析に関しては、こちらの論文が詳しいです。 https://t.co/uVCaG9IfRz
「江戸藩邸毎日記」が、去年、家からでも閲覧できるようになっていたのか。 関連してメモのため、↓これも貼っておきます。 「対⾺宗家文書の可能性」 https://t.co/8jt1Z0te3g https://t.co/2oFlEp1Yuc
「変は成功したとき、乱は失敗したとき」という説があり、プリゴジンの乱とかワグネルの乱とか失敗前提かよ… と、私も思っていましたが、実際は成功した乱も失敗した変もある。乱と変の違いは成否ではない。 https://t.co/jfmkOyOQbi
しんかい6500の耐圧穀はすごいぞ https://t.co/tag4l86Ho6 https://t.co/iDzvU40Igm
なお、最近になって堀越祐一氏により伊達政宗の絶縁状は浅野長政に送られていないのではないかという見解も提示されています。→ https://t.co/wnkVztSA9P https://t.co/knzqOo8Xre
馬部隆弘「山城国人狛氏と一族の地域的展開」『大阪大谷大学紀要』57号、2023年2月 #こんな論文がありました PDF公開されました。山城の狛氏について出自が渡辺党であり、摂津守護代薬師寺氏の与力や六角氏被官の狛氏も同族であると示す、基礎的な研究となります https://t.co/sdDgOtiGnu
部屋掃除してたら昔コピったのが出てきたので読んでる。わかったような、疑惑が深まったような、、、 荘園難しいね https://t.co/N2YVm5zvJn
嘉永6年9月15日(1853年10月17日)、幕府は大船建造の禁止令を解禁した。下記リンクは、幕末の仙台藩が建造した洋式帆船に関する論考や史料を収録した、佐藤大介・黒須潔・井上拓巳編著『仙台藩の洋式帆船開成丸の航跡』(東北大学災害科学国際研究所、2022年)のPDF。 https://t.co/knAGWs8yah

5 0 0 0 OA 字名保存論

『字名保存論(山本徳三郎、1921)』 https://t.co/pChyx8IyJd >各戸長の提出せる『字小字書出帳』『新舊對象字區域要圖』などは絶對的火災豫防の出來る精巧な土藏か穴藏に仕舞込んで置かれたいものである。 関東大震災が起きて皇国地誌が灰燼に帰す2年前 https://t.co/sj6NI7x4bD
@ksk18681912 興味深いお話をありがとうございます。国会図書館の本登録ユーザはデジタルコレクションで読めますね。 あまカラ. (48) https://t.co/jewYPOhSP8 あまカラ : 随筆 https://t.co/6BoswfCrCM 私には魯山人が笑い者とは感じられず、むしろ大岡の魯山人への親愛の情の表現として読みました。

7 0 0 0 あまカラ

@ksk18681912 興味深いお話をありがとうございます。国会図書館の本登録ユーザはデジタルコレクションで読めますね。 あまカラ. (48) https://t.co/jewYPOhSP8 あまカラ : 随筆 https://t.co/6BoswfCrCM 私には魯山人が笑い者とは感じられず、むしろ大岡の魯山人への親愛の情の表現として読みました。
『#外国の立法』No.292-1を掲載しました。 【ロシア】ロシア連邦行政違反法典の改正―ソ連とナチス・ドイツの役割の同一視に罰則を科す法律― https://t.co/IL5dVags90
観音像は、頼朝が挙兵直後のやばかったとき、敵に首を取られて髻から観音像が見つかったら馬鹿にされると、一度は捨てたものを、箱根山の別当が探し出したと伝わります。 https://t.co/ZoCf411iF8 観音像は鶴岡八幡宮のほか、白旗神社にも伝わっていたようで、どうも複数あったっぽい。 #鎌倉殿の13人
はやぶさ2が持ち帰った小惑星の砂から取れたアミノ酸の中に昆布出汁に含まれる旨味成分であるグルタミン酸が含まれていたので、やはり小惑星は煮れば出汁が取れる。 https://t.co/lXJtuJw8dD https://t.co/OVoYKVJPZy

40 0 0 0 OA 言継卿記

@1059kanri これですね、永禄十二年十一月十二日(193コマ目) https://t.co/bS9i1CO0UP
@HIRAYAMAYUUKAIN 話がずれるかも知れませんが。女性の大力に関する説話や伝承は各地にあった記憶があります。 https://t.co/3WZ4wi9rQx
『立教史学』5号に「御成敗式目の現代語訳はどうして難しいのか : 立法技術・語彙・本文に関する覚え書き」を書きました。以前、学部のゼミで扱って試訳をつくったのですが、どうにも難しくて、どうして難しいのか、自分なりに考えたことのメモです。リンク先にPDF。https://t.co/VHdvurxfwQ
明治23年3月9日、尾崎忠征(尾崎八右衛門)が死去。幕末の尾張藩出身で、徳川慶勝に重用された。佐野静代「近衛家別邸「御花畑」の成立とその政治史上の役割」(『人文学』205)は、尾崎が近衛忠煕と緊密に連携し、「尾張藩と朝廷をつなぐ役割」を果たしたことなどに言及。 https://t.co/pAJttOBudV
明治4年1月9日(1871年2月27日)、広沢真臣が死去。何者かに暗殺されたが、真犯人は不明。当時、明治政府の参議を務めていた長州藩出身者は、広沢と木戸孝允だけだった。笠原英彦「広沢参議横死事件と安藤則命」(『法学研究』63-4)は、事件捜査に関する通説を再検証。 https://t.co/XCToPjhXws
大正2年2月17日、坂崎紫瀾(坂崎斌)が死去。坂本龍馬を主役に据えた小説『汗血千里の駒』の作者で、瑞山会の『維新土佐勤王史』の執筆も担当した。知野文哉「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)は、土佐の維新史を語る上での坂崎の重要性について考察。 https://t.co/llVIzrnJpP

5 0 0 0 OA 豊臣時代史

『豊臣時代史』(田中義成)にもより具体的に書いてあるから、あるにはあるんだろう。一体どこに? https://t.co/KbGy8uQMPw

89 0 0 0 OA 史籍集覧

史籍集覧の『備前老人物語』、あと現代思潮新社の『備前老人物語 武功雑記 (古典文庫 57)』も見た。見落としてはいないと思うんだけどな。一体どこに? https://t.co/BU458RDNnp
『安土桃山時代史』(渡辺世祐)によれば、『備前老人物語』に秀吉が木下彌右衛門の子と書いてあるそうなんだけど、俺の知ってる『備前老人物語』では全然見つからない。 https://t.co/uIPRbYuRbC
文久2年12月22日(1863年2月10日)、国学者・塙忠宝(塙次郎)が死去。塙保己一の長男で、『続群書類従』などを編纂した。久田信行「盲唖学校の成立と山尾庸三(補遺)」(『群馬大学教育実践研究』31)は、伊藤博文と山尾庸三が塙を暗殺したことは「ほぼ確実」とする。 https://t.co/WwIBcyl1u9

28 0 0 0 OA 蘆雪名画選

#国立国会図書館 関西館第29回資料展示「結構毛だらけネコ本だらけ」(2/17~3/15)関連Twitter企画「ネコを探しています@デジコレ」実施中!ここにもネコが…! #国会図書館ネコ展 #猫 『蘆雪名画選』長沢蘆雪の画風は、師の円山応挙とは対照的に、奇抜さがあります。 https://t.co/E7fJjIMNK2 https://t.co/vosCDkMs6s

7 0 0 0 OA 鹿苑日録

@shima_126 早速の訂正をありがとうございます。該当の鹿苑日録です。https://t.co/y8VPruezdv この82コマにある誕生祈祷が家康の将軍就任と同年に始まった祈祷となります。
明治5年11月16日(1872年12月16日)、岩倉使節団がパリに到着。福井憲彦「岩倉使節団の見たパリ」(『学習院史学』34)は、使節の一員だった久米邦武の『米欧回覧実記』にパリがどのように描かれているか、また当時のパリがどんな状態だったのか概要を紹介した講演録。 https://t.co/1ng2fC5AfY

2 0 0 0 OA 今昔之三谷

乃木将軍像については『今昔之三谷』p.205~に詳しい。岡崎の石材が使われており、制作者も岡崎の三浦善吉。大正9年4月21日に除幕式が行われている。 国会図書館デジタルコレクション『今昔之三谷』 https://t.co/J9AZad6QAv https://t.co/zB902wxv4N https://t.co/ZGnKg2JDLX
明治25年12月14日、黒田麹廬が死去。幕末の膳所藩出身で、『ロビンソン・クルーソー』を初めて邦訳した。堀井健司「幕末維新期における版権についての一考察」(『出版研究』40)は、福沢諭吉の『西洋事情』を黒田が勝手に改訂したという『増補和解 西洋事情』を分析。 https://t.co/cwBDjPLQZe
大正9年12月9日、岡谷繁実が死去。幕末の館林藩士で、幕府による長州征伐の回避に向けて活動した時期がある。著書『名将言行録』は、井上泰至「近世軍書の研究に対するアメリカ日本研究の有効性」(『国際日本文学研究集会会議録』29)曰く、「近世軍書の集大成的作品」。 https://t.co/TqUB10gYG8
明治31年10月29日、小野友五郎が死去。万延元年、太平洋を横断した咸臨丸に乗船。文久期の小笠原諸島の調査に咸臨丸の艦長として参加。平山洋「福沢諭吉は公金一万五千ドルを横領したか?」(『国際関係・比較文化研究』8-2)は、慶応3年の福沢との対立にまつわる疑惑の研究。 https://t.co/TirYg23gSe
先日のブックパーティ(オンライン)での私の議論を文字化しました。関心おありの方は以下のサイトでご覧ください。 「土偶は植物そのものという新解釈をめぐって―『土偶を読む』(竹倉史人、晶文社、2021 年)へのコメント」https://t.co/U7F7hXp9sI https://t.co/xiMv9U1JVh
前にも紹介した1931年の科学演劇(小学校理科)脚本。全部で30本の脚本があり、思わず笑っちゃう落語風のものもあれば、『青い鳥』を思わせるものや、ロシア民話風のものもあって、とても面白い。1本15分くらいで上演できる感じ。 https://t.co/CFZbULCanS
伊故海貴則「明治維新期地域社会における「多数決」導入」(『立命館大学人文科学研究所紀要』124、2020年)は、静岡県駿河国地域では、地租改正によって「総員の納得できる合意は事実上、不可能」と認識され、「合意形成の一手段として「多数決」が選択された」と言う。 https://t.co/rI0Xr5OiJE

16 0 0 0 OA 小牧陣始末記

好きな逸話だけど出典がわからなくて死蔵してた絵。一応ネタ元がわかった ( https://t.co/JfAHZ5unOF )ので、公開しようと思いました。『雨降りの傘に候』のがカッコよかったかも。
明治17年9月15日、安達清風が死去。幕末の鳥取藩出身で、磯田道史「幕末維新期の藩校教育と人材登用」(『史学』71-2・3)によれば、「藩内きっての俊英」であり、藤田東湖の影響を受けて能力主義による人材登用の必要性を主張した。徳川慶喜の側近・原市之進とも交流。 https://t.co/peOSHPCOtg
続き)このあたり、拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩―西郷吉之助の動向を中心に― 」を参照ください。以下、ダウンロードも可能です。https://t.co/in1GB6YkW2…
昭和14年9月7日、渡辺蒿蔵(天野清三郎)が死去。吉田松陰の松下村塾門下生の、最後の生き残り。幕末期には奇兵隊にも加入した。海外留学して帰国した後、造船技術者として活躍。牛見真博「近代造船の先駆者・渡辺蒿蔵(下)」(『大島商船高等専門学校紀要』51)が詳しい。 https://t.co/TZY3B5mDna
@Olt_Calius @1059kanri 天文二十四年の相良氏領内での禁制では一向宗=祈禱をする山伏、呪術師という認識が。 藩政期の薩摩の禁制も同様であった様子です。 CiNii 論文 - 真宗禁制と山伏および売薬商人 https://t.co/MidZlxr77i #CiNii 民間への流布の過程では、もっと様々な認識が存在していたのかもしれません。
安政5年7月16日(1858年8月24日)、島津斉彬が死去。西郷隆盛が慕った薩摩藩主で、田村省三「薩摩藩における蘭学受容とその変遷」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116)曰く、斉彬は「優秀な蘭学者たちと交流しながら蘭書を翻させ、その知識を吸収する努力を怠らなかった」。 https://t.co/wRrCURrcia
この資料(床板さんに教えて頂きました)の11頁に 「本多美濃守(忠政)平方辺陣取、乱妨狼藉堅く禁制聞こし召され甚だ御感と云々」 …と本多忠政が敵地での略奪を禁じていたことが書かれてます https://t.co/KkhMTB5Ovx
明治22年7月19日、杉田玄端が死去。岩瀬忠震の推挙で蕃書調所に出仕した医師・蘭学者で、その後は外国奉行支配翻訳御用頭取や沼津陸軍医学所頭取などを務めた。鈴木敏夫「江戸時代における養生書の研究」(『北海道大学教育学部紀要』22)は、杉田の著書『健全学』を分析。 https://t.co/3zmjpnipJu
この取り合わせ、やっぱりお坊さんと「稚児」だよねえ。若宮八幡宮別当を兼ねた三宝院の誰かかな?この坊さん。そしてその稚児。 「足利将軍若宮八幡宮参詣絵巻」第8紙 https://t.co/cR3PM0rtTN https://t.co/nTc4zlbdK3

43 0 0 0 OA 猪飼勝三郎届書

国会図書館憲政資料室所蔵「川村正平(恵十郎)関係文書」の「猪飼勝三郎届書」。 平岡円四郎が刺客に襲われたことを知らせる史料。 渡辺甲斐守の旅籠よりの帰路に襲われ、深手を負ったとある。 https://t.co/jPxUBSIutI #青天を衝け
恐らく、今回の青天を衝けの薩摩藩の動きは、町田明広先生の『慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―』(神田外語大学日本研究所紀要)が参考になりそうです! https://t.co/upjt9qfq5i #青天を衝け
安政5年3月24日(1858年5月7日)、幕臣の岩瀬忠震と福井藩の橋本左内が、初めて会った。その後、交流は活発になり、「外交問題や一橋派の運動を通じて、両者は信頼できる同志」になった(別所興一「幕末・維新期の対外観の転回」『愛知大学綜合郷土研究所紀要』62、2017年)。 https://t.co/4Oi2rr1nFQ
この間の事情にご関心がある方は、拙稿「安政東海地震とプチャーチン : ディアナ号の遭難と日露友好 (日本研究所主催講演会 要旨)」をご参照ください。#青天を衝け https://t.co/4aFWiVFAYN

2 0 0 0 OA 北条時宗

@fJUJPpYNbeupaxu @kamedatoshitaka 「途の草々」の自体の実在や時宗の自著という話の真偽はわかりませんが、この文は他にも、1909年9月出版の菅谷秋水著の「北条時宗」17P(サイトでは18コマ目)や、 https://t.co/Aq6HDEDrmO

5 0 0 0 OA 日本仏教外史

@fJUJPpYNbeupaxu @kamedatoshitaka もっと古いもの見つけました。 1919年の菊地亮三郎著の「日本仏教外史」346P(サイトでは210コマ目)で、 https://t.co/t2Z1SZYZpx やはり禅僧は無学祖元になっていて、時宗の自著「途の草々」に「齡漸く長ずるに從ひ、心益々精、才愈々巧なるも、意氣柔弱恰も處女の如し」とあるとも書かれてました。

5 0 0 0 OA 本朝通鑑

尊氏田楽耽溺の件はここか。 ちょいと解読に自信はないけど、大雑把に記述眺めると太平記の影響がかなり色濃く出てそうな感じかね。 https://t.co/WrWQLZQJjk https://t.co/xHMta9VW4S
@saemonhiguchi これ読んで勉強しませう! https://t.co/7oKEEY4w3b

48 0 0 0 OA 関ケ原

「捨伏(すてがまり)」が登場する、直木三十五の『関ヶ原』。https://t.co/KfBOjdAlml これは昭和7年に春陽堂から刊行された版だが、前年の昭和6年に早稲田大学から刊行されているようなので、できればそちらも確認したい。

14 0 0 0 OA 一遍聖繪

国立国会図書館デジタルコレクションから「一遍聖絵」が見られる。写本だけど拡大できるので面白い。https://t.co/P9TfujNf0l
@TaniYoko それは私が答えるべき内容では無いです。 私はそもそも伝承が遡れない時点で偽の史跡であるというふうに判断してます。その経緯も不自然は見当たらないです。 ご質問の内容は馬部氏がすでに説明されてる事で今更なので、そちらを批判されてください。 https://t.co/a2TOe16UKy
平成23年(2011年)8月31日、歴史家の遠山茂樹が死去。主要著作の『明治維新』(岩波書店、1951年)は、今は岩波文庫に入っている。勝田政治「大久保利通とビスマルク」(『国士舘大学文学部人文学会紀要』38)曰く、「講座派の立場から戦後の明治維新史研究をリード」した。 https://t.co/kMJMC2SAkw
@hitoshinka https://t.co/4P6QY6J1r6 資料になりそうかと (・ω<) file:///C:/Users/JDL/AppData/Local/Temp/da015007.pdf
池田勇太「元田永孚における開国論への転換」(『異文化研究』11、2017年)は、「攘夷は和親との対で和戦の問題、開国は鎖国との対で国交・貿易の問題」と整理し、鎖国体制下での和親や開国を見据えた破約攘夷論などの外交態度があったことを前提に、幕末期の元田永孚を分析。 https://t.co/NGFaGJQ1my
昭和43年(1968年)4月21日、『ウルトラセブン』第29話「ひとりぼっちの地球人」が放送された。プロテ星人が登場。学習院大学が撮影に使われた回で、天皇陛下が徳仁親王時代に、講演「目白キャンパスの思い出」(『学習院大学史料館紀要』16、2010年)の中で言及している。 https://t.co/pdTHWsbOYX
米短・薗部先生の「看聞日記」現代語訳18がアップされました。 https://t.co/fKBmRb9gln
三村昌司「近代日本における多数決の導入―明治初年地方民会を中心に―」『史潮』84、2018年。「全会一致」と、意見そのものが「至当であること」を重んじた近世政治文化の原則が、近代的議会における「多数決」にどのように取って代わるのかを論じた、面白い論文でした https://t.co/5Reguf93hq
明治38年1月31日、副島種臣が死去。幕末の佐賀藩出身で、兄の枝吉神陽が主宰した義祭同盟に参加した。明治期に外務卿、内務大臣などを歴任。池田勇太「史料紹介 「政体」」(『史学雑誌』125-2、2016年)は、政体書の草稿と思われる史料を分析し、副島が書いたものと推測。 https://t.co/GPw3q1YWlF
渡辺麻里子「中世文学研究における寺院資料調査の可能性」(『中世文学』56、2011年、PDF公開)2010年に開催されたシンポジウムの講演録。あらためて読み直す。シンポから10年が過ぎて、寺院資料調査の環境がいかに進展したか。来月の日本宗教文献調査学の合同研究会が楽しみ。https://t.co/ho32oEgI2S
RT https://t.co/0vd5HC0qG7 至文堂歴史新書は名著が多く、再刊が望まれる。永島福太郎『応仁の乱』、玉村竹二『五山文学』あたり。ちなみに田中健夫『倭寇と勘合貿易』はちくま学芸文庫。 CiNii 図書 - 日本歴史新書
昭和6年1月2日、斯波淳六郎が死去。幕末の加賀藩家老の家に生まれた。明治17年にドイツ留学する際、同じ船には橋本長勝(橋本左内の甥)らがいたらしい。帰国後、法制局参事官などを歴任。七戸克彦「現行民法典を創った人びと(24)」(『法学セミナー』56-4)などを参照。 https://t.co/i8VnPMw6PX
足利義輝の鎧姿とくれば、まず連想するのは、足利将軍家重代の鎧「御小袖」のこと。『江陽屋形年譜』が永禄の変における義輝の御小袖着用を伝えているそうですが、同時代史料によると、御小袖の唐櫃は伊勢貞助に警固されて禁中に預けられ、その後は三好家が管理したようです。 https://t.co/mzilAMvfCI
山本志乃「旅日記にみる近世末期の女性の旅」(『国立歴史民俗博物館研究報告』155)は、清河八郎の母親や松尾多勢子など、女性たちの旅行を分析。幕末期にはすでに一般化していた無手形による違法の関所抜けが、流動人口の増加や宿場への経済効果をもたらしたことを指摘。 https://t.co/p1hgsdj8LJ
「いい風呂の日」ということで拙アカも便乗して、國原美佐子「15世紀の醍醐寺における洗浴について」(『東京女子大学紀要論集』48-2、1998年)を挙げたい。中世醍醐寺の「風呂」(一般的には蒸し風呂のことを指すが、満済は場合によって沐浴と混同している節がある)の専論。https://t.co/XgV6Blhuqf
亀田俊和先生の昔の論文がPDFで読めます。 https://t.co/rC2et0dfTe https://t.co/Tbht2Cge1P あと、史学雑誌の記事と呉座先生の3つの著作(『一揆の原理』『戦争の日本中世史』『応仁の乱』)の書評も。 https://t.co/Gsa7bB1Hrk https://t.co/Y4Z1g5cDvg
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@goza_u1 @syakekan ググったら斎木一馬さんがこんな論文書いてるのを初めて知りました。https://t.co/HKOfbWQlIB
明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈された経緯などを分析。 https://t.co/weOh76intJ
小麦の代用品として試してみる系 https://t.co/IaXCQnGB3t https://t.co/oChnS891HE https://t.co/bjxSZ4pu02
CiNii収録の最古のタピオカ論文(1925年) https://t.co/bbKV5BiLbF https://t.co/BDKssgZHpn
字が読めるのと、史料が読めるのは、違う能力なので(プロの学者なら崩し字は読めて当たり前。その先で格闘している)。 とまれ、関心が高まること自体は歓迎すべきこと。 呉座勇一「史料を読むということ」リンクは日文研 https://t.co/3SznBw1mAf
メモ。中島圭一「戦国時代の大名・国衆にとっての室町幕府的規範」(『発掘調査成果でみる16世紀大名居館の諸相:シンポジウム報告書』2016年3月)https://t.co/bAe65xmewT
『国史を貫く神社物語』(昭和18)「明治二年信長の勤皇をよみせられ、織田神社建立の勅命がありましたが、やがて建勲社と改められ、明治八年には別格官幣社に列せられました」 https://t.co/MByPxjAUpS

40 0 0 0 OA 日本教育文庫

『梅松論』には尊氏さんを崇拝する家臣たちの姿が残されているのですが、『等持院殿御遺書』には「寒暑労苦安危ヲ同クスル是也」と、尊氏さんがリーダーとして常に家臣と苦楽を共にし絆を深めていたことを物語る言葉が遺されていて、足利軍強いはず!と痺れてしまうのでした https://t.co/SCseIRJaFp https://t.co/L04RioAQTR
CiNii 論文 -  14) 足利尊氏の歯(日本歯科医史学会第27回(平成11年度)学術大会講演事後抄録) https://t.co/fWUmS38Q3t #CiNii

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