著者
今田 和美
出版者
東京大学
雑誌
Slavistika : 東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報
巻号頁・発行日
vol.13, pp.183-195, 1998-03-31

さて、これまで述べてきたような「孤独」と「救済」「したたかに世間を渡っていくための武器」あるいは「作品の喜劇性を引き出す」といった語りの様々な役割は、作品のテーマ (不幸な人間とそれを取り巻く社会の冷酷さ・無常さ) や文体 (感情を排した客観的な語り口、高密度の語りの流れを伴う「意識の流れ小説」、口語や俗語といった低位の文体と官庁風事務文体すなわち高位の文体の混合による言葉の異化)、あるいは非常にペシミスティックで陰気な世界観と並んで、ペトルシェフスカヤの初期作品から一貫して見られる特徴である。いわゆる「ポストモダン」的な複雑で難解な作品が隆盛を極める90年代のロシア文学界において、あくまでリアリズムに徹し日常の細部描写を積み重ねる、というペトルシェフスカヤのスタイルには、批判もある。「口当たりの良さと刺激を求める一般読者層の要望にも前衛的な難解さを求める専門家の要求にもこたえず、現実逃避する読者にひたすら過酷な現実を突きつけている、という意味で非現実的である」という、最近文学新聞に載った批判は、決して唯一のものではない。確かに、「一貫性」とは裏を返せば「同じ事の反復」であり、ペトルシェフスカヤはその危険性を自覚するかのように『時は夜』以降「モノローグ」の執筆を一時中断し、その前後から詩や幻想的な童話、ポスト・ユートピア的な近未来小説、怪談風の作品など、積極的に他のジャンルや形式を開拓している。しかし、そうした新しいタイプの作品においても、多様な役割を持つ「語り」が核となっていることには変わりがないし、今後もそうであるだろうと考えられる。