著者
岩﨑 綾乃 辻 明弘 今井 公江 中西 邦夫
出版者
公益社団法人 日本薬学会
雑誌
YAKUGAKU ZASSHI (ISSN:00316903)
巻号頁・発行日
vol.134, no.6, pp.775-780, 2014-06-01 (Released:2014-06-01)
参考文献数
13

There is little information regarding the acid-neutralizing capacity of over-the-counter (OTC) gastrointestinal medicines. In this study, we assessed the acid-neutralizing capacity of OTC and prescribed gastrointestinal drugs based on the Japanese Pharmacopoeia 16th Edition. The acid-neutralizing capacity of the OTC drugs was calculated using experimental results for the crude materials found in the prescribed drugs based on OTC antacid quantity. The measured acid-neutralizing capacities of the OTC drugs agreed with the respective calculated values. These results indicate that the acid-neutralizing capacity of OTC drugs labeled as an antacid without information on their capacity can be estimated based on the quantity and capacity of the antacid components.
著者
辻 明日香
出版者
日本中東学会
雑誌
日本中東学会年報 (ISSN:09137858)
巻号頁・発行日
vol.31, no.2, pp.29-57, 2016-03-15 (Released:2018-03-30)

After the Islamic conquest, the landscape of Egypt underwent great changes. Arabization gradually advanced, and the Coptic language died out. However, the Islamization of Egypt, which was slower than that of other Middle Eastern areas, was never completed. This paper explores the little known history of the Coptic community in this period through an analysis of the names of the bishops and their sees of the Nile Delta; it seeks to determine which sees were occupied and which became extinct. Of the twenty-four bishoprics listed in the synod of 1086, ten were extinct and four were on the verge of extinction by the end of the twelfth century. In the thirteenth to the fourteenth century, a different situation emerged: Bishoprics were restored or newly created, mostly in the Gharbiya Province, the richest part of the Delta. The Coptic Church was still functioning in the Delta, as is also attested by the itinerary of Yuhanna al-Rabban, a Coptic saint who wandered in the Gharbiya from the late thirteenth to the early fourteenth centuries.
著者
辻 明日香
出版者
一般社団法人 日本オリエント学会
雑誌
オリエント (ISSN:00305219)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.165-181, 2006 (Released:2010-03-12)

What were the reasons that provoked the majority of Copts to convert to Islam in fourteenth century Mamluk Egypt? Most modern scholars conclude that non-Muslims lived under coercion during that period. However, the causes and the extent of the pressures are still questionable. This article attempts to analyze the significance of the decree issued by the Mamluks in 1301 which prompted a change of attitudes towards the dhimmis. The decree endeavored to degrade and humiliate the non-believers, thereby ensuring the support of the jurists and the Muslim populace.Although the prescribed terms of the decree were long-established, two notable measures were introduced for the first time in Mamluk Egypt that remained effective throughout the remainder of the era. Firstly, the dhimmis were required to wear colored turbans. Secondly, the legendary Pact of 'Umar was revived as an effective treaty with the dhimmis.Enforcement of the conditions of the decree instigated riots against the dhimmis. The fact that the campaign against the dhimmis did not wane is evident from a riot in the town of Qus in 1307 in which a sufi shaykh justified the attacks by declaring that the Copts were violating the Pact of 'Umar.The implications of the 1301 decree made a huge impact on society. It was not the prevention from serving in the bureaucracy but rather the restrictions in every day life that motivated the Copts to convert. As all strata of Mamluk society willingly accepted the decree and made sure it was in force, this is evidence that the climate surrounding the dhimmis had definitely changed leading to mass conversion in the 1350s.
著者
山田 典一 松田 明正 荻原 義人 辻 明宏 太田 覚史 石倉 健 中村 真潮 伊藤 正明
出版者
日本静脈学会
雑誌
静脈学 (ISSN:09157395)
巻号頁・発行日
vol.23, no.3, pp.233-238, 2012-08-25 (Released:2012-08-30)
参考文献数
9

●要 約:弾性ストッキングは静脈血栓塞栓症の理学的予防法の一つとして汎用されており一定の予防効果が報告されている.他の予防法と比較しても,出血性合併症のリスクがなく,簡便で比較的安価であることより,使用しやすいという利点がある.わが国でも以前より静脈血栓塞栓症予防法の一つとして用いられていたが,2004年の肺血栓塞栓症/深部静脈血栓症(静脈血栓塞栓症)予防ガイドラインの公表と,さらに同時期に肺血栓塞栓症予防管理料が保険診療報酬改定で認定されたことを契機に急速にその使用頻度が増加した.しかしながら,多くの前向き大規模研究が行われている薬物的予防法と比較すると未だ十分なエビデンスがあるとは言い難い.本項では,静脈血栓塞栓症に対する一次予防法としての弾性ストッキングの現時点でのエビデンスをレビューする.
著者
林 葵 佐藤 大介 大角 誠一郎 辻 明紀子 西村 公宏 関根 理 森野 勝太郎 卯木 智 前川 聡
出版者
一般社団法人 日本糖尿病学会
雑誌
糖尿病 (ISSN:0021437X)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.132-138, 2020-03-30 (Released:2020-03-30)
参考文献数
29

症例は27歳,女性.産後7日目から食思不振と全身倦怠感が出現し,産後25日目に意識障害を認めたため救急搬送され,糖尿病性ケトアシドーシス(以下DKAと略す)と高アンモニア血症のため緊急入院となった.DKAの改善後も見当識障害と高アンモニア血症は遷延した.先天性代謝異常の既往や家族歴はないが血中アミノ酸分画を測定したところ血中シトルリン低値であり,尿素サイクル異常症が示唆された.亜鉛欠乏(49 μg/dL)に対して亜鉛補充を開始したところ,高アンモニア血症と血中シトルリンは正常化し,見当識障害は改善した.以上の経過から,亜鉛欠乏による一過性のオルニチントランスカルバミラーゼ活性低下から高アンモニア血症を来したと推察された.本例のような長期の食思不振から低栄養状態が疑われる場合には,亜鉛欠乏に伴う一過性高アンモニア血症も鑑別に挙げる必要があると考えられる.
著者
高森 スミ 久家 智子 辻 明良
出版者
Japanese Society of Environmental Infections
雑誌
環境感染 (ISSN:09183337)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.27-32, 1992-12-15 (Released:2010-07-21)
参考文献数
12
被引用文献数
3

手指消毒剤の評価のうち, 殺菌あるいは抗菌作用についての検討成績は数多く報告されているが, 使用者から手荒れの訴えがあるにもかかわらず, その検討報告は少なく, 対策に有用な成績は得られていない. 消毒剤を常用する医療従事者にとっては, 手荒れが生じにくくかつ除菌, 殺菌効果のすぐれた消毒剤が望まれる. 本研究では健常者を対象に実際の手指消毒法に準じた条件で, 1日8回, 8日間手洗いを行い, その前・後の皮膚状態を観察し, 加えて除菌効果およびパッチテストによる皮膚刺激性について検討した. 用いた消毒剤は4%グルコン酸クロルヘキシジン, 0.5%グルコン酸クロルヘキシジン, 0.1%塩化ベンゼトニウム, 0.2%塩化ベンザルコニウム・エタノール, 7.5%ポビドンヨードの5剤である.その結果, 使用した消毒剤すべてにおいて手洗い回数が増えるに従い手荒れがみられ, その程度は7.5%ポビドンヨードがもっとも高く, ついで0.1%塩化ベンゼトニウム, 4%グルコン酸クロルヘキシジン, 0.5%グルコン酸クロルヘキシジン, 0.2%塩化ベンザルコニウム・エタノールの順であった. また皮膚の状態から手荒れは爪周囲に強く認められた. 除菌効果は7.5%ポビドンヨード (平均76.9%) を除く4剤は91%以上と高い除菌率を示した. パッチテストの陽性率は0.2%塩化ベンザルコニウム・エタノールの35.5%がもっとも高く, ついで7.5%ポビドンヨードの15.5%であった.しかし, パッチテストの陽性率と手荒れ度との相関は認められなかった.
著者
柴田 大輔 河合 望 中町 信孝 津本 英利 長谷川 修一 青木 健 有松 唯 上野 雅由樹 久米 正吾 嶋田 英晴 下釜 和也 鈴木 恵美 高井 啓介 伊達 聖伸 辻 明日香 亀谷 学 渡井 葉子
出版者
筑波大学
雑誌
新学術領域研究(研究領域提案型)
巻号頁・発行日
2012-06-28

現在の西アジア諸国において戦争・政争を引き起こす重要なファクターとしてイスラームの政教問題が挙げられる。西アジア政教問題の重要性は万人が認めるところだが、一方でこの問題は単なる現代情勢の一端として表層的に扱われ、しかも紋切り型の説明で片付けられることも多い。本研究は、文明が発祥した古代からイスラーム政権が欧米列強と対峙する近現代にいたる長い歴史を射程に入れ、政教問題がたどった錯綜した系譜の解明を目指した。ユダヤ・キリスト教社会、紋切り型の説明を作ってきた近現代西欧のオリエント学者たちが西アジアに向けた「眼差し」も批判的に検討したうえで、西アジア政教問題に関する新しい見取り図の提示を目指した。
著者
辻 明日夏 倉重 賢治 亀山 嘉正
出版者
日本知能情報ファジィ学会
雑誌
知能と情報 (ISSN:13477986)
巻号頁・発行日
vol.20, no.3, pp.337-346, 2008-06-15 (Released:2008-11-04)
参考文献数
19
被引用文献数
3 3

本研究では,いくつかの料理を組み合わせることでメニューの作成を行う.この組み合わせにより,栄養のバランスや料理同士の相性,各カテゴリーでの品数などを考慮する.バランスの取れた料理を作成するためには,エネルギーと脂肪,炭水化物,たんぱく質,食物繊維,塩分などの摂取量を考慮する必要がある.各栄養素に対する必要摂取量は,個人によって異なっており,料理を組み合わせることによって,その値を完全に一致させることは困難である.通常,これらの量は,完全に一致させる必要はなく,ある程度の範囲内で収めれば良いと考えられている.そこで,各栄養素に対する必要摂取量をファジィ数で表現し,それぞれの栄養素に適したメンバシップ関数を作成する.バランスの取れたメニューを作成するためには,最も低いメンバシップ関数値の最大化を目指す.その他,料理の相性や料理数は,通常の制約条件として取り扱うこととした.この問題は,ファジィ数理計画問題として定式化され,180皿の料理による数値計算例によって,その有効性を明らかにした.
著者
三宅 美行 宮崎 修一 辻 明良 金子 康子 山口 恵三 五島 瑳智子
出版者
公益社団法人 日本化学療法学会
雑誌
CHEMOTHERAPY (ISSN:00093165)
巻号頁・発行日
vol.42, no.Supplement2, pp.34-50, 1994-10-24 (Released:2011-08-04)
参考文献数
17

新しいβ-ラクタマーゼ阻害剤tazobactam (TAZ) とpiperacillin (PIPC) との1: 4の配合剤で あるtazobactam/piperacillin (TAZ/PIPC) のin vitroおよびin vivoにおける抗菌力を既存のβ-ラクタム系抗生物質と比較検討した。TAZ/PIPCはグラム陽性菌および陰性菌に対して幅広い抗菌スペクトルを示し, 陽性菌 では対照薬剤のなかで最も強く, 陰性菌においてもimipenem, ceftazidimeにつぐ強い抗菌 力を示した。特にβ-ラクタマーゼ産生株では配合相手であるPIPCよりも強い抗菌力を示 した。マウス全身感染治療実験において TAZ/PIPCは試験株のすべてに優れた治療効果を認 め, とくにβ-ラクタマーゼ産生株の感染ではPIPCよりも優れた治療効果を示した。また, TAZ/PIPCのβ-ラクタマーゼ非産生株単独感染での治療効果はPIPCとほぼ同様であったが, 産生株との混合感染においては明らかにPIPCより優れていた。β-ラクタマーゼ産生株であるEscherichia coli KU-3によるマウス尿路感染治療実験で, TAZ/PIPC投与マウスは PIPC投与マウスに比較して速やかな腎内生菌数の減少が観察された。また, 同様の方法にて尿路感染時の腎内PIPC濃度を測定したところ, PIPC投与群ではβ-ラクタマーゼによる分解を受けPIPC濃度はTAZ/PIPC投与群より有意に低下していたが, TAZ/PIPC投与群は正常マウスとほぼ同様であり, 分解を受けなかった。さらに, 臨床治療時を想定したヒト血中濃度シミュレーションシステムを用いてTAZ/PIPCの殺菌効果をβ-ラクタマーゼ産生株についてPIPCと比較したところ, TAZ/PIPCは PIPCより著明な生菌数の減少と再増殖の遅延が認められた。またE. coliとKlebsiella Pneumoniaeの混合接種においてもTAZ/PIPCはPIPCと比べ両菌に対し著明な殺菌作用が認められた。混合感染などβ-ラクタマーゼ産生株による感染治療においてTAZ/PIPCが優れた治療効果を示したのは, 感染部位に産生されたβ-ラクタマーゼによるPIPCの分解をTAZが阻害するためPIPC本来の抗菌力が発揮されたことによると考えられた。
著者
辻 明日香
出版者
日本中東学会
雑誌
日本中東学会年報 = Annals of Japan Association for Middle East Studies (ISSN:09137858)
巻号頁・発行日
no.31, pp.29-57, 2015

After the Islamic conquest, the landscape of Egypt underwent great changes. Arabization gradually advanced, and the Coptic language died out. However, the Islamization of Egypt, which was slower than that of other Middle Eastern areas, was never completed. This paper explores the little known history of the Coptic community in this period through an analysis of the names of the bishops and their sees of the Nile Delta; it seeks to determine which sees were occupied and which became extinct. Of the twenty-four bishoprics listed in the synod of 1086, ten were extinct and four were on the verge of extinction by the end of the twelfth century. In the thirteenth to the fourteenth century, a different situation emerged: Bishoprics were restored or newly created, mostly in the Gharbiya Province, the richest part of the Delta. The Coptic Church was still functioning in the Delta, as is also attested by the itinerary of Yuhanna al-Rabban, a Coptic saint who wandered in the Gharbiya from the late thirteenth to the early fourteenth centuries.
著者
李 秀華 五島 瑳智子 村井 貞子 小林 明子 辻 明良 高 細水 胡 尭蒙 〓 玉秀
出版者
Japanese Society of Chemotherapy
雑誌
日本化学療法学会雜誌 = Japanese journal of chemotherapy (ISSN:13407007)
巻号頁・発行日
vol.47, no.10, pp.611-618, 1999-10-25

中国の病院関係者における<I>Staphyloococcus auresus</I>の保菌状況を調べることを目的とし, 1996年, 1997年に中国4省4都市7病院で, 健康者25人と入院患者25人を対象に咽頭と鼻前庭粘膜から<I>S. aureus</I>を分離した。分離株の血清型別および薬剤感受性を調べ, 1996年に行った東京の1病院の成績と比較した。<BR>1) 中国7病院での<I>S. aureus</I>の分離率は4%~25%であり, 東京の1病院での41.2%に比べ有意に低率であった。<BR>2) 健康者からの<I>S. aureus</I>の分離率は入院患者よりも高く, 健康者では医療従事者の方が一般人に比較し高い分離率を示した。また, 咽頭からの分離率が鼻前庭に比較して高かった。<BR>3) 中国7病院で分離された<I>S. aureus</I>の血清型はコアグラーゼVII型がもっとも多く, エンテロトキシン型は一定ではなかった。これに対して日本の1病院から分離された<I>S. aureus</I>42株のうち12株がコアグラーII型, エンテロトキシンC型であり, これらはすべてMRSAであった。<BR>4) 抗菌薬感受性について, 中国7病院での分離株はimipenem, panipenemに対する感受性が高く, tetracycline, erythromycin, roxithromycin, azithromycin には低い成績を示したが, MRSAは分離されなかった。一方, 東京の1病院では42株中17株 (40.8%) がMRSAであったが, すぺての菌株がarbekacinに4.0μg/mL以下, vanoomycinに2.0μg/mL以下のMICを示した。<BR>中国7病院と東京の1病院で分離された<I>S. aureus</I>の各種抗菌薬に対する感受性パターンの相違は, これまでの両国における感染症と治療法の差および医療体制の違いによるものと考えられるが, 西洋医学が急速に導入されている中国において, 今後の薬剤耐性菌の推移を検討する基礎資料となるであろう。
著者
山中 由里子 池上 俊一 大沼 由布 杉田 英明 見市 雅俊 守川 知子 橋本 隆夫 金沢 百枝 亀谷 学 黒川 正剛 小宮 正安 菅瀬 晶子 鈴木 英明 武田 雅哉 二宮 文子 林 則仁 松田 隆美 宮下 遼 小倉 智史 小林 一枝 辻 明日香 家島 彦一
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010-04-01

中世ヨーロッパでは、辺境・異界・太古の怪異な事物、生き物、あるいは現象はラテン語でミラビリアと呼ばれた。一方、中世イスラーム世界においては、未知の世界の摩訶不思議は、アラビア語・ペルシア語でアジャーイブと呼ばれ、旅行記や博物誌などに記録された。いずれも「驚異、驚異的なもの」を意味するミラビリアとアジャーイブは、似た語源を持つだけでなく、内容にも類似する点が多い。本研究では、古代世界から継承された自然科学・地理学・博物学の知識、ユーラシアに広く流布した物語群、一神教的世界観といった、双方が共有する基盤を明らかにし、複雑に絡み合うヨーロッパと中東の精神史を相対的かつ大局的に捉えた。
著者
深沢 克己 齊藤 寛海 黒木 英充 西川 杉子 堀井 優 勝田 俊輔 千葉 敏之 加藤 玄 踊 共二 宮野 裕 坂野 正則 辻 明日香 宮武 志郎 那須 敬 山本 大丙 藤崎 衛
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2009

当初の研究計画に即して、国際ワークショップと国際シンポジウムを3年連続で組織し、第一線で活躍する合計14名の研究者を世界各国から結集して、キリスト教諸宗派、イスラーム、ユダヤ教などを対象に、広域的な視野のもとで異宗教・異宗派間の関係を比較史的に研究した。これにより得られた共通認識をふまえて、研究者間の濃密な国際交流ネットワークを構築し、研究代表者を編集責任者として、全員の協力による共著出版の準備を進めることができた。
著者
辻 明日香
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2008

本研究の目的は、マイノリティーの視点から、中世イスラム社会を捉え直すことにある。14世紀半ばエジプトでは、コプトに対する大規模な弾圧により、コプト人口は激減した。また、コプト教会の文芸活動が途絶えた。その中で黙示録は14世紀以降も著されている。申請者は、この黙示録に、コプトが改宗を選択しなかった者の覚悟が現れているのではないかと考えた。2008年5月18日に早稲田大学にて開催された、2008年度歴史学研究会大会の合同部会では、本研究の予備的発表を行った。タイトルは「黙示録から見たイスラム支配下のコプト」で、黙示録に見られる記述から、エジプト社会のアラブ化がコプト教会に与えた影響について考えた。夏休み中は、黙示録資料、の情報整理をした。また、International Coptic Congressの第9回大会(エジプト・カイロ、9月14-20日)に参加し、海外のコプト史研究の専門家らと本研究に関する情報収集・情報交換を行った。10月には歴史学研究会大会の報告文が『歴史学研究増刊号』第846号に掲載された。1月末から2月にかけてロンドン・オックスフォードにて写本調査を行った。新しい黙示録を発見するには至らなかったが、マムルーク朝期の教会史や聖人伝の写本を見ることにより、黙示録を補完するような情報を得ることができた。2009年2月21日にはイスラーム地域研究の研究会にて、「コプト黙示録におけるイスラーム政権像の変遷」と題し、イスラム征服期からマムルーク朝に至るまでの様々な時代に著された黙示録に、その時代の為政者がどのように描写されているかということを発表した。これにより、マムルーク朝期の黙示録記述の意図をより明らかにすることができた。この報告に関しては、2009年度中に研究ノートとしてまとめる予定である。