著者
小笠原 好彦
出版者
滋賀大学
雑誌
滋賀大学教育学部紀要. II, 人文科学・社会科学 (ISSN:13429264)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.63-80, 2002

飛鳥には、飛鳥寺、豊浦寺をはじめ多くの古代寺院が造営された。これらのうち、7世紀前半の奥山久米寺の屋瓦は天神山釜、7世紀後半の川原寺は荒坂瓦窯、本薬師寺は牧代瓦窯で屋瓦が生産されている。これらの瓦窯は、いずれも大和宇智郡の北部に設けられたものである。奥山久米寺は出土した墨書土器から、近年は、蘇我傍系氏族の小墾田臣によって建立された氏寺とみなされているが、当初は、境部臣摩理勢によって造営された寺院で、境部臣の所領の関連で須恵器生産地の今井古窯群の窯業生産地の一部に天神山釜が設けられたとみてよい。天神山釜は、この時期に造営された他の寺院の瓦窯と同様に、瓦陶兼業窯として屋瓦が生産されている。その後、境部臣が滅亡し、蘇我本宗家が所領を受け継いだが、蘇我本宗家も滅亡したことから、この地の所領が天皇家の家産機構に繰り込まれることになり、ここに設けた荒坂瓦窯で天智天皇が勅願した官寺の河原寺の屋瓦が生産されることになった。この荒坂瓦窯は、川原寺へ短期間で多量の屋瓦を供給したことから、周辺の山林の伐採が著しく進んだことが想定される。そのため天武天皇が勅願した官寺の本薬師寺の屋瓦は荒坂瓦窯から3km南に隔てた吉野川河畔の牧代瓦窯で生産せざるをえないことになったと推測される。牧代瓦窯の造瓦組織は、本薬師寺の屋瓦を生産しただけでなく、その後、都城の殿舎に初めて瓦葺した藤原宮への屋瓦を供給する大規模な造瓦組織の形成に、きわめて重要な役割を果たすことになった。

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こんな論文どうですか? 飛鳥の古代寺院と大和宇智郡の瓦窯(小笠原 好彦),2002 http://t.co/iB4uc1zI 飛鳥には、飛鳥寺、…
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