- 著者
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橋本 明
- 出版者
- 山口県立大学
- 雑誌
- 山口県立大学看護学部紀要 (ISSN:13430904)
- 巻号頁・発行日
- vol.1, pp.1-8, 1997-03
ゴルトンに遡る優生学は,第一次世界大戦後のナショナリズムの高揚とともに欧米諸国で広まっていった。とりわけドイツの優生政策はわが国の優生学に影響を与えた。ドイツの優生学(民族衛生)は,遺伝精神医学的な研究と取り組み既に国際的な名声を獲得していた精神医学者の協力で,1933年の強制断種法の制定へと発展していった。この法の主たる犠牲者は精神病患者と精神薄弱者であった。それに対して,わが国の精神医学者は1940年の優生立法になんら決定的な役割を果たしていない。概して立法に対する彼らの態度は否定的なものであった。というのも,精神医学者たちは精神病患者に対する断種の効果や科学的な基盤に懐疑的であったからである。その結果,戦時中(1941-1945年)に断種を受けた患者の数は,当時の諸外国と比較してみると,少数に留まった。だが同時にわが国の精神医学者には,優生学において政治的なあるいは実践的な役割を果たすことができる余地がほとんど残されていなかった。なぜなら,優生立法の基礎となるべき精神医学の遺伝的研究は乏しく,当時の日本にとっては精神疾患よりも栄養不足や結核をはじめとする感染症のほうが重要な克服課題であったからである。