- 著者
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花田 文男
- 出版者
- 千葉商科大学
- 雑誌
- 千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
- 巻号頁・発行日
- vol.42, no.3, pp.17-38, 2004-12-31
殺害者がいると死体は血を流す,血を流して殺害者を告発することは中世人にとってはあり得べきことであった。古くから受け継がれた伝承,信仰であると同時に事実の認識であった。中世の歴史家はたびたびその事実を報告している。おそらく死者にも意思が存在するという信仰の名残りであろう。とりわけ非業の死をとげた者ほど強い意思,うらみが残った。このモチーフを文芸作品の中ではじめて用いたのは12世紀後半のクレチアン・ド・トロワである。『イヴァン(獅子の騎士)』では,イヴァンは致命傷を負わせた騎士を追ってかえって城の中に閉じこめられる。魔法の指輪によって姿の見えなくなったイヴァンの前を騎士の遺体が通ると,遺体から血が噴き出す。遺体から血が流れているのに,犯人が見当らないことに周囲の者は不思議に思う。作者がどこからこの想を得たかは不明にしても,殺害者が自ら殺した者の葬列の場に居合わせざるをえないという状況がこのモチーフを用いさせた動機となったのではなかろうか。彼の追随者たちは好んでこの主題を取り上げるが,師ほどの成功を収めることはなかったようだ。