著者
小粥 良
出版者
山口大学
雑誌
山口大学独仏文学 (ISSN:03876918)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.57-69, 2004-12-24

ハインリッヒ・フォン・クライストの『O侯爵夫人』は1808年2月、クライスト自身が編集していた雑誌「フェーブス」に2回に分けて発表された。完成時期は遅くとも1807年の末と推測されている(Schmidt 197)。この作品を通してクライストは何を訴えようとしたのか。筆者は一学期間(ドイツ語を履修したことのない学生がほとんどだったので、英訳テキストを用いた授業ではあったが)この作品をテキストとして授業を行い、テキストの精読を通じて考察してみたが、むしろ謎は深まるばかりであった。授業においては、ヨッヘン・シュミットの解釈を参考にしながら、啓蒙主義的な女性の自立の物語として読むという方向を取ったのであるが、そうするうちに多くの疑問を抱かざるを得なかった。この物語には、たしかにヨッヘン・シュミットが指摘するように、「偏見に対する批判、特に偏見によって固定された権威に対する批判」(Schmidt 200)が込められていて、政治と宗教の結託した支配制度に対する当てこすりと見える点が多々存在する。しかし、はたしてシュミットの言うように「クライストの叙述の第一の目標は、ひとりの女性の解放の物語を物語ること(注: 点を付した部分は原文では斜字体)」(Schmidt 202)なのであろうか。そして、もしそうであるとしたら、それは啓蒙的理性による解放と言えるであろうか。これが筆者の抱いた最も大きな疑問である。物語の中心は、むしろ、人間理性の限界の方にあるのではないか。開示されるのは「世界の脆い仕組み」(Kleist 49, 32-33)であり、それを克服するものは諦念であり、そこから立ち現れる寛容に基づいた赦しであると筆者には思われる。

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