- 著者
-
原 清治
山崎 瞳
- 出版者
- 佛教大学
- 雑誌
- 佛教大学教育学部学会紀要 (ISSN:13474782)
- 巻号頁・発行日
- vol.5, pp.7-18, 2006-03-14
近年の「学力低下論争」において、その中心にあった議論のひとつが子どもたちの学力の二極化であった。ゆとり教育によって、自主的に学習に取り組む姿勢が身につき始めた子どもたちがいる一方で、学力が低下し、「学びから逃走する子どもたち」が生み出されているというのである。本稿では、この学力の二極化現象において、学力が低下していない子どもたちの層に注目した。今日では塾に通うこと(通塾)が、学力を保障するうえで大きな影響力をもつことは先行研究より明らかであるが、塾に通う子どもたちの意識に注目した場合、時代の変化につれてその実態も大きく変化していたのである。インタビュー調査の結果、塾に通う子どもたちのなかには「塾がつらい」と感じている傾向もみられたが、それでも驚くほど長期に渡って通塾を続けるのが一般的であることが指摘された。その背景には、塾に通わない、いわゆる「勉強のできない子」たちとは明確に区別されたいという考えがはたらいているからであった。また、これまで塾がもち合わせていた「補習」型の機能が、学力低位の子どもたちから、学力上位群のなかにいる下位層(文中では「偽装エリート」群と表記)へと対象を変えており、塾の機能そのものにも変化がみられ始めていることも考察された。通塾する子どもたちの層の変化は、親がわが子を強制的に通塾させることが少なくなったことと無関係ではなく、親のなかにも子どもたちと同様に、教育に対する価値の二極化傾向が進行していると考えられる。