- 著者
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江藤 正顕
- 出版者
- 九州大学大学院比較社会文化学府比較文化研究会
- 雑誌
- Comparatio (ISSN:13474286)
- 巻号頁・発行日
- vol.13, pp.35-51, 2009
『復興期の精神』(注1)は、論文というより作品と呼ぶに相応しい、花田清輝の青年期から壮年期にかけての産物である。書かれたのは彼が三十代の頃であるが、若き花田の傲岸不遜とも見える自信の背後に、華麗にして繊細な相貌が潜んでいる。この作品は、方々にその毒を撒き散らしている。埴谷雄高、吉本隆明、三島由紀夫、澁澤龍彦というように、それが発するスペクトルは意外な方向へと散乱している。しかも、このととは、その細部に及び、陀田の文体、言い回しの癖のようなものまで、そこには見出せる。澁澤の初期の『神聖受胎』(現代思想社、一九六二年、サド裁判係争中)などは、花田の文章かと見間違うほどである。花田の表現内容そのものが、他者へ伝播するように伝わっている。もはや引用の意図もないところで、花田の語句が流布しているのである。この花田の文章のもつ感染力は異様である。これは案外、稀有なことなのかもしれない。おそらく、他の作家たちも、どこかで読んだことのある花田の文章を意識しないで書いているに違いない。むろん、盗作しているわけではない。花田には、このような同時代性、文体の協働性のようなものがあった。以下に、この花田の〈協働現象〉について論じてみよう。なぜか、同時代にある対象が降って湧いたように共通の話題になるということがある。なぜ、それがその時期なのか、ということがなかなか説明しにくい現象である。ブームと言ってしまえば簡単だが、まったく因果関係がないわけでもない。たとえば、小林秀雄「当麻」(初出は『文,学界』一九四二年四月)(注2)、花田清輝「楕円幻想」(初出は『文化組織』一九四三年一〇月)、太宰治「ヴィヨンの妻」(初出は『展望』一九四七年三月)、この三人は、戦中戦後にかけて、いずれもフランソワ・ヴィヨンと何らかの関係のある文章を残している。ここには、時代の潮流や傾向というものが映し出されているように思える。なぜこの時期に文学者たちが一斉にヴィヨンに言い及んだのか、ということである。戦中戦後のヴィヨン現象には何か理由があるのか。それとも互いを意識しての連鎖反応だったのか。「復興期」と呼ばれているルネッサンス時代、宗教改革時代といったものも、また日本ではこの頃、一種のブームのようにさかんに論じられた。多くの、けっして専門家ではない人までもが「文芸復興期」について語っている。野面宏がブリューゲルに材を採った「暗い絵」(初出は『黄蜂』一九四六年四月?一〇月)を描き、埴谷雄高が『フランドル画家論抄』(宇田川嘉彦の筆名、洗剤堂書房、一九四四年五月)を出版するなど、あるいは、もう少し時代が下って、美術史家の土方定一がドイツ・フランドル画家論集でレンブラントや、ヒ戯曲ニムス・ボスを取り上げ、前川誠郎がデューラー研究に進むなど、時代を挙げて、北方ルネッサンスの一大ブームであった。また、渡辺一夫都『ラブレー研究覚書』(白水社、一九四九年)、八代幸雄が『随筆レオナルド・ダ・ヴィンチ』(朝日新闘社、一九四八年)を出版するのも、広いパースペクテイヴで捉えれば、この時代、すなわち、第二次世界大戦前後のことである。(注3>花田の『復興期の精神』もそのような時代趨勢と無関係ではないだろう。花田が使った〈雀形期〉という言葉は、こうした意味でも、よく時代の柑を捉えているように思える。花田の描いたパースペクティヴは、これらの文入たちをも巻き込むように、昭和の戦前・戦後の時代を映し出している。