著者
井上 薫
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.13, pp.p50-61, 1984-12

行基(六六八- 七四九)が狭山池(河内国丹比郡、大阪府南河内郡狭山町)を修理したことは、「天平十三年記」(泉高父編『行基年譜』収録) にみえ(第1表)、すなわち行基が造営・修理した灌概水利・交通関係の施設の名称・場所・規模などを列挙したなかに「狭山池河内国丹北郡狭山里」と記される。編者の泉高父について詳細は明らかでないが、建久七年(一一九六) ころまで生きた人で、『行基年譜』以外にも『泉高父私記』を書いている。すなわち『泉高父私記』が法空の『上宮太子拾遺記』第二巻(『大日本仏教全書』本) に引用されており、『泉高父私記』は本元興寺と、その北僧房に安置した弥勒石像の所在・形像などを『七大寺巡礼記』などによって考証し、かつ建久七年炎上のことを記している。

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こんな論文どうですか? 狭山池修理をめぐる行基と重源(井上 薫),1984 https://t.co/oyzemhMds6 行基(六六八- 七四九)が狭山池(河内国丹比郡、大阪府南河内郡狭山町)を修理したことは、「…
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