- 著者
-
松尾 理也
- 出版者
- 京都大学大学院教育学研究科
- 雑誌
- 京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
- 巻号頁・発行日
- no.65, pp.275-287, 2019
大正期の新聞の影響力は、読者層の拡大にともなって無視できない社会現象にまで成長したが、新聞の内容が報道重視、速報重視となるとともに、メディア技術の変革の受容が地域によって差があったこともあって、この時期、地域ごとの独自のメディアのありかたが芽生え始めた。関西のメディア風土は、大阪で全国紙への脱皮を遂げつつあった『朝日』『毎日』の二大紙が主導したが、一方で東京の名門紙である『時事新報』が大阪に進出した『大阪時事新報』も経営不振にあえぎながらも独自性を模索していた。大正13年に新聞読者すなわち民衆世論の憤激を招いた米排日移民法をめぐる報道を分析してみると、東京から時間的に一歩遅れ、空間的にも離れているハンデを取り戻すための「まとめ機能」や「わかりやすさ」の重視、取材源との距離よりも読者への密着に重きを置く姿勢などが、必要性に迫られて構築された「関西らしさ」として浮かび上がった。