- 著者
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ツォーベル ギュンター
- 出版者
- 日本比較文学会
- 雑誌
- 比較文学 (ISSN:04408039)
- 巻号頁・発行日
- vol.14, pp.128-112, 1971
<p> 演劇の世界では、類似する精神史的、文化史的条件によって諸国民の間に、近い親縁の現象が實現したように思われる。遠く隔たった大陸で、時代も違っており、その間に何等直接の接触がなかった害であるけれども、いくつかの国民は判然と一致した演劇上の形態と人物を発展させて来た。</p><p> この意味において、本論文では数世紀にわたる歴史をもち、神楽(かぐら)劇の形をとって今なお生きつづけている民俗喜劇の人物と、ヨーロッパの古い謝肉祭(カーニバル)風習の人物およびもっと歴史の新しいコメディア・デラルテ(一六世紀に栄えたイタリア劇の即興茶番)の人物とが比較される。この比較の記述の中心点にあるのは、日本の四つの面とその人物、すなわち、「獅子」「ひょっとこ」、「おかめ」、「天狗」、これらの神話的由来、祭祀の行事及び演劇上の型の規定である。</p><p> 日本の演劇史もまた祭りがすべての戯曲の源泉であるという命題を実証している。春季祭礼、五穀豊穣祈念祭の祭式と結びついて、第一に獅子の姿が登場する、この獅子は獅子踊や神道(しんとう)の行列の形で、冬の悪魔を祓(はら)うものとしての機能をもつが、この機能はヨーロッパ中世の謝肉祭行進のシェンバールトロイファー(ひげのある面をつけ謝肉祭に行進する人物)に似ている。——神楽のある種類ではその舞台に、征服された野獣のグロテスクで滑稽な姿としてこの獅子は狩獬呪術の祭式に登場した。この祭式こそ獅子踊または鹿踊の基礎になっている。すべての時代のすべての国民にとって、春の祭式進行の在り方に、滑稽なものや喜劇の源泉が存するのである。</p><p> 日本版ハルレキン(イタリア喜劇の道化)を演ずるものが神楽の「ひょっとこ」である。ヨーロッパの道化は、ヴォーダン神(古代ゲルマンの最高神)を中心とするゲルマンの神話や祭式から発生したのであった。ライン河流域における男衆同盟の男根の儀式において、魔王の軍勢の指揮者はヘルレキンと呼ばれていた。これが後にはキリスト教神秘劇の悪魔となり、コメディア・デラルテのアルレッキノとなった。面と服装の要素のいくつかは、神楽の伝統と、コメディア・デラルテの伝統との外観上の類似を示している。「ひょっとこ」が最も古い時代の儀式神楽のなかでのサイノオ(細男)の役から由来していることは、演劇論的に証明された。セイノウ(青農)人形は、八幡祭祀において神に供えられたが、日本演劇における「もどき」のその最初の形態を引き立たせた。しかしながら、「ひよっとこ」が元来「青農」として、また「細男」として一体どの神様を代表していたか、というこの問題が今や一つの中心問題となるのである。</p><p> 「ひよっとこ」の面と名前から、かまどの火の神、すなわち、日本書紀にその名が挙げられた「かまの神」との直接の関係が窺い知られる。しかし芝居の中では、我々はなかんずく「おかめ」の相手役としての「ひよっとこ」に出会う。「おかめ」なる人物は、太陽の女神(天照大神)を中心とする神話にその起源が求めらるべきである。すなわち踊るアマノウズメに求められるべきである。「おかめ」の面とエロティックな踊りは、祭式的にはウズメノミコトの、幸福をもたらし、豊穣を呼び出す裸踊りを表現している。多くの国民の場合に、裸を露出することは謝肉祭風習として、また愛の呪術として行事のなかに組み入れられている。</p><p> ウズメノミコトの本来の神話上の、また祭式上の相手役はサルダヒコである。あの天上の道案内人である。このサルダヒコの前で、ウズメノミコトは、日本書紀によれば、二度目に裸を露呈した。サルダヒコは人によく知られた姿(人物)としては「天狗」を演ずる。「天狗」の面は男根の象徴となった。民衆の中には、好色の山の妖怪「天狗」の表象が今なお生きており、神楽や祭りにおいては、今日でもなお我々は、天狗の、男根の魔物と神をしい行列の姿とのグロテスクな、そして滑稽な混合に出会う。</p><p> 「ひよっとこ」は、サルダヒコの神の「もどき」姿を表現しているのかも知れない。何故なら彼は代役として舞台上で「おかめ」(ウズメノミコ卜)の滑稽でエロティックな相手役となったからである。「ひょっとこ」(名は火男から来たといわれ、面は火を吹く姿を表わす)の名と面に窺われる火との関係はヤマビト(山人)としての彼の由来から恐らく発しているのであろう。山人すなわち山の住民はしばしば青農人形を運んで行く人であった。そして祭の儀式の火の世話を見なければならなかった。これらの人形の一つとしてサルダヒコはおそらく八幡の神に捧げられたものであろう。その人形を運んだ一人の山人は、神楽の舞台の前で庭火の世話を見なければならなかったが、これが「サイノオ」(細男)となり、後に「ひょっとこ」として日本の民俗芸能の不滅の「もどき」姿になった。——「ひょっとこ」という滑稽な人物の由来についての、この新しい仮説的理論は本論文中に特に強調している所である。本論文を書くに当っては我々はなかんずく、日本の純粋な祭りを親しく見聞したその体験に負う所が多い。(福田英男訳)</p>