- 著者
-
平野 大
- 出版者
- 日本映像学会
- 雑誌
- 映像学 (ISSN:02860279)
- 巻号頁・発行日
- vol.101, pp.155-176, 2019
【要旨】<br> 本稿は、クリストファー・ノーラン監督による映画『プレステージ』について、シルクハットというアイテムに焦点を絞り、これを分析の手がかりとしながら、読み解いていくことを目的としている。同時に、いままであまり注目されてこなかったファッション・アイテムである帽子の、分析ツールとしての可能性の一端を提示していくことも試みていく。<br> 映画『プレステージ』は19世紀末のロンドンを舞台に、「人間瞬間移動」を得意演目としていた二人の奇術師が繰り広げる確執の物語である。<br> 本作を検証するにあたり、特に注目するシーンがある。それは、オープニングとエンディング部分に見られる数多くのシルクハットが空き地に散乱しているシーンである。アメリカの映画研究家、トッド・マガウアンは、『クリストファー・ノーランの嘘― 思想で読む映画論(<i>The Fictional Christopher Nolan</i>)』の中で、このシーンに関して「過剰な帽子は、創作活動に必然的に付随する余剰物である」と述べている。<br> このマガウアンの視点は、ノーランの映画製作観に鋭く踏み込む画期的なものである。しかし、果たしてシルクハットは、本当に創作活動の「余剰物」に過ぎないのであろうか。本作におけるシルクハットは「余剰物」以上の役割と意味を担っているのではなかろうか。<br> 本稿においては、このマガウアンの指摘に対して、シルクハットの歴史や象徴性をふまえながら、検討を加えていく。