著者
石松 紀子
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.169-192, 2018

1973 年、ブルガリアで開催された国際造形芸術連盟(IAA)の会議で、各国・地域における「カルチュラル・アイデンティティ」を重視する決議がなされる。この「カルチュラル・アイデンティティ」の概念は、1979 年に開催された福岡市美術館の開館記念展「アジア美術展」を実現させる上で大きな指針を与えるものとなる。同展は、日本でアジアの現代美術を紹介する先駆けとなり、以後ほぼ5 年ごとに実施され、第1 回(第1 部1979 年/第2 部1980 年)、第2 回(1985 年)、第3 回(1989 年)、そして第4 回展(1994 年)まで続く。第1 回から4 回までの「アジア美術展」を検証すると、さまざまなアイデンティティの捉え方がみえてくる。第1 回展から第3 回展までは、アジアにおける「文化の独自性」「民族的な特質」といったスローガンのもとに「アジアの共通性」を模索するが、第4 回展においては、個々の作品や美術家を重視する姿勢へと転換する。第2 次世界大戦後、アジアの多くは宗主国の支配から解放され国家として独立を果たすが、自立した国家を構築する過程で、美術分野においても「アイデンティティ」の形成は重要な課題として考えられるようになる。本稿では、「アイデンティティ」の概念が日本におけるアジアの現代美術の展覧会で語られた初期の例として「アジア美術展」を取り上げ、その概念の受容と変遷について考察する。その上で本稿は、「アジア美術展」において、IAA が提唱した「アイデンティティ」概念が、アジアの現代美術を受容する枠組みとなっていったプロセスや、各展覧会におけるその概念の捉え方や変化を検証する。また、「アイデンティティ」を考察することで、アジアにおける日本の立ち位置や、日本がアジアに向けるまなざしについても検討する。そうすることで、アジアの現代美術を語る上で、美術言説を形成することの重要性や、改めて日本をみつめる視点の必要性を明らかにする。

言及状況

外部データベース (DOI)

Wikipedia (1 pages, 1 posts, 1 contributors)

収集済み URL リスト