- 著者
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趙 沼振
- 出版者
- カルチュラル・スタディーズ学会
- 雑誌
- 年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
- 巻号頁・発行日
- vol.8, pp.151-173, 2020
1968年、日本大学では右翼思想団体や体育会系サークルを利用して学生活動に暴力的な統制を加えるなどしていた大学理事会による約20億円の使途不明金が、東京国税局の告発によって発覚した。日大全共闘は、私立大学の教育をめぐるこのような問題点への一つの応答として学生による運動体として形成され、大衆団交を求めて日大闘争を進めた。<br> このように日大全共闘が結成されて50年目を迎えた2018 年、日大のアメリカンフットボール部をめぐる「悪質タックル問題」が社会的な論議を引き起こしていた。これと時期を同じくして、「日大930 の会」事務局が日大全共闘50 年の節目に「日大全共闘結成50周年の集い」を開催しており、かつて大学運営の民主化を要求して闘争に参加した元学生らの再結集を機に、日大当局に対する見解を明らかにした。<br> 本稿では、日大全共闘に結集した仲間たちで成り立った同窓会組織の「日大930の会」に着目し、彼らに行ったインタビュー調査の内容を通じて、日大闘争の経験を文章化する作業の一環となった記録活動の様相と意義について考察する。「日大930の会」は、日大闘争をめぐる膨大な量の記憶を檻から解放させるために、日大全共闘の当事者への呼びかけを続けながら、『日大闘争の記録――忘れざる日々』の記録本シリーズを発行した。彼らが「悪質タックル問題」に対してとった行動から、全共闘運動の記録活動が改めて意味づけられた。つまり、「日大930の会」は、あいかわらず日大全共闘として自分自身を歴史の対象として客観的に考察するための、記録作業に取り組み続けてきたことが、今日でも日大全共闘の持続性と現在性に対して自覚的に意識を向け、その系譜を提示したのである。