著者
森田 裕美
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.8, pp.5-12, 2009-05-23

1945年8月6日、広島に投下されたたった一発の原爆は、いったいどれだけ人を苦しめたら気が済むのだろうか-。被爆地・広島の新聞記者として、六十数年を経た今なお続く苦しみや悲しみに触れ、「被爆体験」が発する今日的意味を問い続けている。世の中の事象に、ある切り口から光を当て、文字にし、短い記事の中で分かりやすく伝えるのが新聞記者の仕事だ。ただ、焦点を絞れば必ずあふれてしまう「断片」があり、ある言葉に「集約」すれば、見えなくなる「本質」もある。数々の「声」は、伝える過程で、「被爆者]や「ヒロシマ」などの言葉に集約されていく。伝える上で避けられない作業でありながら、原爆がもたらしたとてつもない「人間的悲惨」に迫れば迫るほど、表現しきれないもどかしさに苦闘する。しばしば和解の象徴として語られる被爆者は、本当に「憎しみを捨てている」のか-。被爆者でなければその記憶は継承できないのか-。記者が抱える日々の葛藤を通じ、「被爆体験」を継承する可能性を考える。