著者
平安名 萌恵
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.19-32, 2020 (Released:2021-05-29)
参考文献数
26

非婚シングルマザーをめぐる先行研究では、1)自由なライフスタイルを求めて非婚で子どもを出産・養育する「積極的非婚シングルマザー」と2)妊娠後、パートナーに結婚や子どもの認知を拒否され、意図せず非婚で子どもを産み育てることになった「消極的非婚シングルマザー」の二つに区分され、異なる議論が展開されてきた。この2類型のどちらにも当てはまらないケースとして示されてきたのが、「沖縄の非婚シングルマザー」である。既存の沖縄研究において、相互扶助的でおおらかな共同体を前提として、積極的/消極的に拘わらず、「自由」で「奔放」に子どもを産み育てる「沖縄の非婚シングルマザー」像が提示されてきた。本研究は、沖縄における非婚シングルマザーを対象とした生活史インタビュー調査結果を基に、「沖縄の非婚シングルマザー」像の問い直しをすることを目的とした。結果として、沖縄における非婚シングルマザーは、男性優位の共同体のなかで、「気にもかけられず、期待もされてない」といった、放任的な状況に置かれていることが明らかになった。先行研究で示された相互扶助的な「沖縄的」共同体像が、ジェンダー格差を見落とした一面的なものであることが示唆された。女性たちは、共同体に頼れないからこそ、自分自身だけを頼りに意思決定しながら生きているといえる。
著者
角田 燎
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.30-44, 2022 (Released:2023-06-08)
参考文献数
20

本稿は、戦後派世代の旧軍関係者団体への参加と、そこで生じた「歴史修正主義」の台頭を、陸軍士官の親睦組織である偕行社を事例に明らかにする。先行研究では、旧軍関係者団体の戦後派世代への「継承」の困難さが指摘されている。しかし、偕行社のように現在まで存続している団体もある。本稿では、偕行社がどのようにして困難さを乗り越え存続したのかを会内の「歴史修正主義」の台頭や、自衛官OBの参加に注目して分析する。親睦組織として発展した偕行社では、「陸軍の反省」が求められていた。しかし、1990年代後半になると「自虐史観」への反発が強まり、会内で「歴史修正主義」が台頭した。同時期には、会の資産と将来について、激しい議論が展開された。そうした対立を孕みつつも、最終的に自衛官OBを後継者として迎え入れ、「英霊」の永続的奉賛のため、会は存続することとなる。この背景として、会の「政治化」と「歴史修正主義」があった。会の「政治化」は、「歴史修正主義」の影響を受け「自虐史観」の打破を目指す戦争体験世代にも、陸自の支援や防衛に関する政策提言を目指す自衛官OBにも許容可能なものであった。それぞれの「政治化」の方向性は異なったが、政治団体化という大きな目標自体は同じだった。政治的中立を謳った偕行社という旧軍関係者の親睦団体は、戦後世代を受け入れ、政治団体と形を変えることで、現在まで存続することになったのである。
著者
金 明秀
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.36-53, 2015-06-25 (Released:2017-09-22)
被引用文献数
1

近年、日本でもマイノリティへのヘイトスピーチなどを特徴とする極右運動が問題視されるようになったが、それを下支えする社会的態度だと考えられている排外主義について、計量的なアプローチを用いて規定要因を探索的に特定することが本稿の目的である。データは2012年に「外国人集住都市会議」に加盟する自治体の有権者を対象に郵送法によって実施された調査である。分析モデルを構築するにあたっては、多数の態度概念を媒介させることで、社会構造上の位置をあらわす変数と従属変数の共変関係の「意味」を精緻に特定する社会意識論のフレームを用いた。分析の結果、次の3点が明らかになった。すなわち、(1)排外主義の形成に直接作用する社会構造変数はみられず、社会意識が媒介するかたちで排外主義が変動する、(2)排外主義を直接的に押し上げる最大の要因は同化主義である。同化主義は年齢が高いほど強い、(3)排外主義を直接的に抑制する要因は一般的信頼である。一般的信頼は社会的ネットワークの幅が広いほど高く、社会的ネットワークの幅は教育達成が高いほど広い。以上の発見に基づいて、社会全体の統合や秩序を毀損する排外主義を抑制するためには、「多文化関係資源」とでも呼びうる希少資源が重要であること、また、「多文化関係資源」の価値を再評価し、資源を再生産するシステマティックな取り組みが必要であることを論じた。
著者
筒井 淳也
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.48-59, 2020 (Released:2021-05-29)
参考文献数
21

持続的な文系縮小圧力があるなか、社会科学の学問を「科学的」かどうかによって優劣判断するような言説が目立つようになっている。このような圧力を受けて、社会学の立ち位置をどのように考えたらいいのかについて考察するのが本稿の目的である。経済学のように科学に近似していくという戦略、科学概念を拡張してそのなかに社会学を入れるという戦略、「科学」とそうでない学問との境界線の揺らぎを指摘してそもそもの判断基準を相対化するといった戦略などがあるが、いずれも有効性に限界がある。社会学の独自性が狭い意味での科学とは異なるところにあるのなら、その立ち位置を外に向かって丁寧に説明することを続ける必要がある。
著者
太郎丸 博
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.52-59, 2010-05-29

本稿では、まず日本では数理社会学が不人気である事実を確認し、その理由を説明する仮説として、リベラル仮説と伝統的公共性仮説を検討する。リベラル仮説によると、社会学者の多くはリベラルであるが、マイノリテイの生活世界を描くことを通して、抑圧の実態を告発し、受苦への共感を誘う戦略がしばしばとられる。そのため、社会学者の多くは抽象的で単純化された議論を嫌う。そのことが数理社会学の忌避につながる。伝統的公共性仮説によると、日本の社会学では伝統的公共社会学が主流であるが、伝統的公共性の領域では、厳密だが煩雑な論理よりも、多少暖昧でもわかりやすいストーリーが好まれる。それが数理社会学の忌避につながる。このような数理社会学の忌避の原因はプロ社会学の衰退の原因でもあり、プロ社会学の衰退は、リベラルと伝統的公共社会学の基盤をも掘り崩すものである。それゆえ、数理社会学を中心としたプロ社会学の再生こそ日本の社会学の重要な課題なのである。
著者
大越 愛子
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.28-36, 2011-06-30 (Released:2017-09-22)

戦争や武力紛争時に生じる性暴力に関しては、多くの論ずべきテーマがあろう。本論考では、この性差別的世界で、長い間沈黙を強いられ、スティグマ化されてきたが、ついに20世紀末に、彼女たちの経験してきた苦悩と加害者への怒りを語ることを決意されたサバイバーたちの観点に、焦点を当てたい。私は20年前、最初にカムアウトされ、日本軍と兵士たちを厳しく告発された、いわゆる日本軍「慰安婦」制度のサバイバー金学順の証言を忘れることはできない。特に、彼女がその惨めな生活のために「女の歓び」を奪われたと話されたことに衝撃を受けた。私はこの証言は、性暴力の核心をつくと考え、それを論じたが、今から思えば不十分なものであったと思う。これに関して、ポストコロニアル・フェミニスト岡真理から、そうした証言が「男性中心的な性表現」でなされることの矛盾を指摘された。だが私の意図は、サバイバーが性的主体として立ちあらわれ、発話されたことの衝撃を伝えることにあったのだと、当論文で改めて主張したい。サバイバー証言をいかに聞き取るかを考えるためにも、この種の議論は重要だろう。さらに、こうしたサバイバーたちの証言への応答責任として開催された日本軍性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」の意義を論じたい。これは近代の戦争と軍事システムという構造的暴力を裁く画期的な試みである。しかしこの「法廷」は、日本政府や少なからぬ論者によっても無視され続けてきた。10年経った現在、この「法廷」を受け継ぐ試みが新たに起こりつつある。構造的暴力と闘い続けるという倫理的責任が、私たちにいっそう強く求められているということだろう。
著者
鈴木 彩加
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.29-42, 2017 (Released:2018-06-13)
参考文献数
23

1990年代以降に草の根レベルで展開されるようになった保守運動に人びとが参加する理由は、「癒し」や「不安」といった言葉で論じられてきた。しかし、冷戦体制の崩壊やグローバル化の進展などの社会変化に由来する「不安」がナショナリズムへと接続することで解消されるという説は、「不安」が運動を通してどのように「癒される」のかという点について明らかではない。さらに、国内や海外の先行研究では、女性参加者らが運動内で性差別に遭遇していることが示されており、「癒し」と「不安」という説明は女性参加者にも適用できるのか、ジェンダーの観点から慎重に検討する必要がある。本稿では女性の動きが活発だと言われている「行動する保守」を対象に、女性団体A会の非-示威行動で実施した調査から、保守運動の参加者同士の相互行為をジェンダーの観点から考察することを目的とした。A会の非-示威行動の場で参加者たちは様々なジョークを話していることから、本稿ではジョークの持つ機能に着目した。「嫌韓」や「愛国心」といった政治意識上「右」に位置するジョークは、参加者たちが共有する知識や価値観をもとに成立しており、参加者同士の交流を円滑にする機能を有していた。しかしながら、「慰安婦」問題に関しては高齢男性の性差別的ジョークに女性参加者たちが「沈黙」する場面が見られ、ジェンダーに関するトピックは参加者間の相違を顕在化させることが明らかとなった。
著者
福原 宏幸
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.10, pp.62-75, 2011-06-30

2009年、連合と連合総研は、深刻化するワーキングプア問題の解決をめざしてワーキングプア調査チームを組織し、実態調査を行った。それにより、以下の結論を得た。ワーキングプアの15歳のころの生活状況を調べると、貧困と不安定な家庭環境のもとで、家族とのつながりの希薄化、学校社会への中途半端な接合、低学歴に追いやられ、「社会化」が十分に達成できていない者が多くいた。また、労働世界におけるワーキングプアの仕事の周縁性や雇用の不安定さは、職場への接合の不確かさをもたらしている。その結果、職場組織だけでなく、家族、友人・知人、地域社会などとのつながりの希薄化がみられ、場合によっては精神疾患を患う者もいた。さらに、継続雇用と一時的失業を前提に設計された雇用保険などの社会保障制度から多くのワーキングプアが排除されている。同時に、これらの排除状況に対して、自らの思いや要求を発言する機会や場そのものが奪われていることもわかった。これらのことから、ワーキングプア問題は、子ども期の貧困と社会からの排除と深く結び付いていることが導き出された。また、この問題は、日本社会のメインストリームを形成している企業社会の論理やそれを前提とした社会保障制度からの排除と深く結び付いていることもわかった。すなわち、ワーキングプア問題は、日本の社会のあり方、とりわけ労働における差別と排除の最も深刻な問題であるといえよう。
著者
尾﨑 俊也
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.85-97, 2017 (Released:2018-06-13)
参考文献数
27
被引用文献数
1

本稿は、社会学的行為理論の枠組みから男性性概念を用いて男性のDVや性暴力を研究しているメッサーシュミットから知見を得て、暴力行為と男性性の関係を明らかにすることを目的とする。行為理論の枠組みから、男性の暴力行為がどのように理解されうるのかは大きく問われてこなかった。他方、犯罪心理学の分野において、男性の暴力行為の原因が個人の病理的な特性や性衝動に回収される傾向にあった。そのなかで、メッサーシュミットの研究からは、暴力行為に極めて社会的な過程があることが理解できる。メッサーシュミットは暴力行為の社会的意味が暴力行為者にとって重要なものであり、暴力行為を通じて、男性性が実践される側面を解明した。この意味で、われわれの社会が構築してきた男性性が、暴力加害に作用していると言える。男性の女性に対する暴力については、支配的な男性性をめぐる男性同士の社会的な闘争で周縁化された男性が、女性に対する暴力を行使することで、支配的な男性性を実践する社会過程があると分かった。さらに、性暴力は異性愛に特徴づけられた男性性を行為することを通じて、より支配的な男性性を実践できる傾向にあることも読み取れた。このように、女性に対する男性の暴力が発生する背景に、社会的に構築された男性性があり、また性的な意味を経由することで、よりその支配性が暴力行為者によって見出されるのである。
著者
谷本 奈穂
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.3-14, 2017 (Released:2018-06-13)
参考文献数
29

美容整形は「劣等感」や「他者に対するアピール」のために行われると信じられてきたが、むしろ実践者たちは「自己満足」を最も重視する。ただし同時に、「他者」による外見の評価を気にしてもいた。先行研究では、この他者を「異性」や、より一般的な「社会」(一般化された他者)と措定し、日常生活において「具体的に誰なのか」は見落としてきた。そこで、本論は、美容整形希望者・実践者が外見について準拠する「具体的な他者」を明らかにすることを試みる。なお、先行研究では実践者の「動機」に注目されがちだったが、本稿では実践者たちの「コミュニケーション」のレベルに注目した分析を行う。さらに先行研究の調査は、美容整形経験者だけを対象としたものが主だが、本論では実践者へのインタビューを行いつつも、希望者/非希望者や、あるいは経験者/非経験者の比較分析も行う。実際に「美容整形経験と何が結びつくか」は、両者の比較をしてこそ見出しうるからだ。さて分析から明らかになったのは、希望者・実践者が重視する他者とは、第一に「同性友人」であり、次いで「母」や「姉妹」であることだ。美容整形にコミットするのは男性より女性が多いことを踏まえるなら、「女性同士のネットワーク」が重要であるともいえる。女性にとって、異性や社会(一般化された他者)ではなく、「身近にいる同性」とのコミュニケーションの中に、外見を変える「地平」が成立しているのである。
著者
大澤 真幸
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.25-39, 2006

「オタク」と呼ばれる若者たちが、日本社会に登場したのは、1980年代の初頭であった。本稿の目的は、オタクが、いかに謎に満ちた現象であるかを示すことにある。オタクとは何か?オタクは、それぞれが関心を有する主題領域についての「意味の重みと情報の密度の著しいギャップ」によって、伝統的な趣味人や専門家からは明確に区別される。われわれは、オタクについての通念に反する4つの逆説を提示する。(1)オタクは、それぞれがコミットするきわめて特殊な主題にしか興味をもたない、と言われる。これは、事実だが、オタクの生成過程・発展過程の観察から、われわれは次のような仮説を導出する。すなわち、オタクが特殊な領域にしか興味をもたないのは、まさにその特殊な領域に普遍的世界が圧縮されて表現されているからである、と。(2)オタクは、現実をも虚構と本質的には異ならない意味的な構築物と見なすような、アイロニカルな相対主義者である。オタクは、意識のレベルでは、虚構の対象に対して、このようにアイロニカルな距離を保ちながら、反対に、行動のレベルでは、その同じ対象に徹底して没入してもいる。こうした意識と行動の間の逆立が、またオタクを特徴づける。(3)オタクは、他者との接触を回避する非社会性によって特徴づけられる。が、同時に、オタクは、他者を希求し、連帯を求めてもいる。オタクの主題領域に見出された逆説(普遍性の特殊性への反転)に対応した両義性が、対他関係にも見出されるのだ。すなわち、オタクにあっては、他者性への欲求が、他者性の否定(類似性への欲求)へと裏返るのである。(4)他者性への関心は、身体への関心としばしば並行している。身体の活動性の低下は、オタクの特徴である。だが、他方で、身体の活動性を上げることへの、つまり身体の直接性への関心もまた、現在の若者たちの特徴である。身体に関しても、背反するベクトルが共存している。以上のような逆説が、なぜ出現するのか。オタクを視野に収めた、社会学的な若者論は、これを説明できなくてはならない。
著者
井上 俊
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.36-47, 2020 (Released:2021-05-29)
参考文献数
27

日本の社会学は、第二次世界大戦後、1950~60年代にかけて急速に発展した。当時の主流は農村社会学と家族社会学、そして学説研究であった。戦後、GHQの方針もあって、日本社会の近代化・民主化が大きな課題とされ、社会学はとくに「いえとむら」に残る前近代性の実態解明と克服に貢献することを期待された。その意味で、当時の社会学には実践的・政策学的な関心が強かった。学説研究に関しては、米国社会学の影響が強まり、パーソンズやマートンらの構造-機能主義、リースマンやミルズらの大衆社会論などが紹介され、広く受け入れられた。1970年代に入ると、それまで大きな影響力を持っていた構造-機能主義とマルクス主義がともに弱体化し始め、シンボリック・インタラクショニズムや現象学的社会学など多くの新しい観点が登場し、研究テーマも多様化する。大衆社会論を引き継ぐような形で情報社会論、消費社会論、脱工業社会論なども盛んになり、80年代にはいわゆるポストモダニズムの潮流が形成され、90年代以降のグローバル化の進展とあいまって、「(欧米)近代市民社会の自己認識の学」としての社会学のあり方を脅かす。一方、80年代以降やや敬遠され気味であった実践的・政策学的関心は、バブル崩壊、オウム真理教事件、自然災害と原発事故などを契機に再び活性化した。日本の社会学のこうした歴史と現状を踏まえ、ブラヴォイの「パブリック社会学」論やジャノヴィッツの「工学/啓発モデル」論を参照しながら、社会学的知の多様性と社会学のディシプリンとしての曖昧性の擁護について最後に触れたい。
著者
杉本 厚夫
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.69-76, 2006

阪神タイガースは兵庫県に本拠地(甲子園球場)を置きながらも、大阪という地域アイデンティティを強く持っている不思議なチームである。また、2004年は4位であったにも拘らず、甲子園球場には延べ350万人もの観客動員数があったという。そこで、本稿は阪神タイガースファンの応援行動から、その背景にある大阪文化を逆照射してみたい。ジェット風船を飛ばしたり、メガホンを打ち鳴らしたり、応援のパフォーマンスを持った観客は、観ることから参加することへと変容した。この「ノリ」のよさは、大阪の「いちびり」文化を基盤としている。タイガースファンにとっては勝ち負けより、興奮できるゲームだったかが大切である。つまり、見る値打ちがあるかどうかで判断し、面白い試合だったら「もと」が取れたと言う。興奮するという「感情」を「勘定」に読み替える大阪商人の文化が息づいている。法被を着ることで、応援グッズを持つことで、仲間であることを表明した途端に一体感が生まれる。相手と一体化する「じぶん」の大阪文化を、甲子園球場という祝祭空間で体感することで、人々は都市の孤立感から救われる。六甲おろし(タイガースの応援歌)やそれぞれの選手の応援歌は、ただ単に観客を煽るだけではなく、同時に観客を鎮める働きを持っている。そこには、「つかみ」と「おち」の上方のお笑い文化が潜んでいる。

16 0 0 0 OA オタクという謎

著者
大澤 真幸
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.25-39, 2006-05-27 (Released:2017-09-22)

「オタク」と呼ばれる若者たちが、日本社会に登場したのは、1980年代の初頭であった。本稿の目的は、オタクが、いかに謎に満ちた現象であるかを示すことにある。オタクとは何か?オタクは、それぞれが関心を有する主題領域についての「意味の重みと情報の密度の著しいギャップ」によって、伝統的な趣味人や専門家からは明確に区別される。われわれは、オタクについての通念に反する4つの逆説を提示する。(1)オタクは、それぞれがコミットするきわめて特殊な主題にしか興味をもたない、と言われる。これは、事実だが、オタクの生成過程・発展過程の観察から、われわれは次のような仮説を導出する。すなわち、オタクが特殊な領域にしか興味をもたないのは、まさにその特殊な領域に普遍的世界が圧縮されて表現されているからである、と。(2)オタクは、現実をも虚構と本質的には異ならない意味的な構築物と見なすような、アイロニカルな相対主義者である。オタクは、意識のレベルでは、虚構の対象に対して、このようにアイロニカルな距離を保ちながら、反対に、行動のレベルでは、その同じ対象に徹底して没入してもいる。こうした意識と行動の間の逆立が、またオタクを特徴づける。(3)オタクは、他者との接触を回避する非社会性によって特徴づけられる。が、同時に、オタクは、他者を希求し、連帯を求めてもいる。オタクの主題領域に見出された逆説(普遍性の特殊性への反転)に対応した両義性が、対他関係にも見出されるのだ。すなわち、オタクにあっては、他者性への欲求が、他者性の否定(類似性への欲求)へと裏返るのである。(4)他者性への関心は、身体への関心としばしば並行している。身体の活動性の低下は、オタクの特徴である。だが、他方で、身体の活動性を上げることへの、つまり身体の直接性への関心もまた、現在の若者たちの特徴である。身体に関しても、背反するベクトルが共存している。以上のような逆説が、なぜ出現するのか。オタクを視野に収めた、社会学的な若者論は、これを説明できなくてはならない。
著者
吉川 徹
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.92-101, 2002-05-25 (Released:2017-09-22)

現代階層論は、ジャーナリスティックには活況を呈しているようにみえる。しかし同時に様々な困難な課題を抱えていることも指摘される。本稿ではこの現状をふまえて、あらためて1955年以来のSSM調査研究を中核とする階層研究史を見直した。その結果、1980年以降の約20年は、戦後〜高度成長期という前時代と比較すると、十分な説明がなされないままで残されていることを指摘できる。そうであるからこそ、この空白の20年を埋めるものとして、原純輔と盛山和夫は「寛かさの中の不平等」という現代階層論の大きな指針を示しているのである。だがこの論調もなお、「戦後」という|日来の時代認識からは相変わらず自由ではない。それゆえにまた、時系列比較研究に特有の先行研究との分析の重複、新しい時代の特性(=現代社会論)の軽視が繰り返されるおそれがある。同時に現在の微細な階層差(豊かさの中の不平等)は、社会意識局面などに対する階層要因の影響力の弱まりをけじめとしたいくつかの課題を、階層研究のフロンティアにいる次世代の研究者に突きつける。
著者
赤江 達也
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.60-69, 2020 (Released:2021-05-29)
参考文献数
26

宗教学や宗教社会学の領域では、二〇世紀末までに、「西洋-キリスト教的」な宗教概念への批判的な視点は自明なものとなっていた。だが、宗教社会学の古典的な概念や理論への批判は、宗教をめぐる議論をわかりにくいものにしている。宗教概念批判の後で宗教をどのように語るのかは、現在も進行中の課題である。こうした問題関心の下、本稿では、近現代日本の宗教史においてくりかえし現れる「××は宗教ではない」という語りを「「非宗教」語り」という対象として設定し、宗教社会学における課題として提示することを試みた。本稿の仮説的な主張は、次のようなものである。「非宗教」語りは、宗教言説のなかに生じる構造的空隙としての「(非)宗教的なもの」の領域をつくりだしてきた。このような観点から、本稿では、「非宗教」語りの系譜として、戦前期における「神社非宗教論」、戦後における政教分離訴訟の対象という系譜について概観している。こうした「非宗教」語りは、現在の宗教研究における宗教概念批判の潮流ともつながるところがあり、日本近代の問題であると同時に、「非西洋」近代の問題でもある。また、本稿の試みがもつ現在の社会学への示唆として、日本においてキリスト教と神道を同時に考えること、人文学と社会科学の間で考えることの意義について論じている。
著者
富永 京子
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.12, pp.17-30, 2013-05-18

本研究は、グローバルな社会運動において運動体間の連携がどのように行われるのかを問う。先行研究は「社会問題の被害者=主要従事者」「被害者以外の人々=支援者」と定義して分析を行うが、グローバルな社会運動は被害者と加害者の境界が曖昧であるために、主要従事者と支援者を判別することが困難である。本稿はサミット抗議行動を事例とし、グローバルな運動の中で主要な運動従事者が決定される過程と、運動主体間におけるレパートリーの伝達過程を分析することにより、グローバルな社会運動における運動体間の連携のあり方を考察する。具体的には、サミット抗議行動においてレパートリーの伝達がいかになされたかを参加者50名の聞き取りデータを基に検討する。分析の結果、本運動の主要従事者はサミット抗議行動が行われる地域で普段から活動する人々であり、レパートリーは毎回の抗議行動と同様に定例化・定期化されて行われる。しかし、主要従事者は定例化されたレパートリーを義務的に行う一方、設営や資源調達といった場面で自らの政治主張や理念を反映させることがわかる。グローバルな運動における運動体の連携に関する結論として、第一に、「場所」が主たる運動従事者を決定する要素となり、第二にレパートリー伝達をめぐって「前例」が大きな役割を果たしており、第三に主要な従事者は表立ったレパートリーだけでなく資源調達によって政治的主張を行うことが明らかになる。
著者
西田 芳正
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.41-50, 2003-05-24 (Released:2017-09-22)

日本人、日本社会と在日韓国・朝鮮人の民族関係を検討する際、被差別部落の問題を避けることはできない。戦前、多数の朝鮮人が部落およびその周辺地域に流入、定着したことが知られており、職業、地域、学校などさまざまな場面で両者が近接して生活することになった。本論文では、特定地域での両者の関係史をたどり、他地区の事例も踏まえつつ両者の関係性を整理した。日本社会の差別性のゆえに職住において両者は接近せざるを得ない構造的な与件があり、職業において競合する立場に置かれることにもなる。差別的な意識を双方が抱いていることも事実であるが、日常生活場面では良好な関係が成立していたことを示す記録が多数残されている。貧困、生活苦のなかでの密接な関わりは、民族関係成立の条件を考える上で一つの手がかりとなるだろう。また、マイノリティ集団を相互に比較検討する視点もさまざまな知見をもたらすはずである。それぞれの集団に課せられた障壁=バリアのあり方、その認識と対応のあり方を比較によって検討することは、それぞれの集団の特性を浮かび上がらせるだけではなく、日本社会の差別的構造をも明らかにするはずである。