著者
井口 由布 アブドゥル・ラシド
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.27-45, 2019 (Released:2019-10-21)
参考文献数
38
被引用文献数
1

「女性器切除female genital mutilation: FGM」をめぐって国際社会では、女性の人権と健康の侵害であるという「普遍主義」と現地の伝統であるとする「文化相対主義」によって対立がくりひろげられてきた。本論考は、「FGM」論争を言説としてとらえ、ポスト植民地における女性の身体とセクシュアリティをめぐる政治のなかに位置づけることで、この対立がいずれも近代医学の普遍性という暗黙の前提の上に成り立っていることを示す。なお本論考は「FGM」を自明のカテゴリーとしてあつかわないためカギ括弧をつけて使用している。「FGM」論争は、国際機関や西洋フェミニストによる「普遍主義」と「FGM」をさまざまな身体加工の一つとして考える文化人類学者による「文化相対主義」との対立によって特徴づけられてきた。1990 年代からこの論争を言説の問題としてとらえる動向が開始し、ポスト植民地における自己表象、西洋における家父長制の隠蔽、西洋のフェミニストによる帝国主義的搾取への加担などの問題が論じられた。 本論考は、「FGM」論を言説としてとらえるこれまでの動向において、じゅうぶんに着目されてこなかった医学的なまなざしについて論じる。女性の身体を対象化する医学的なまなざしの強力さは、研究者たちの分類への執拗なこだわりから見てとれる。「FGM」の研究と分類のプロジェクトは植民地における医療の制度化とともに開始し、人類学者の研究や宗教指導者の議論をも包摂し、現在の世界保健機構による4分類において頂点を極めている。「FGM」を医学的に分類するプロジェクトは、国際機関や各国が行う保健政策、NGOによる人道支援、宗教組織の行う施策へと変換され、植民地において開始した近代医学における管理体制の、ポスト植民地的な展開の一つといえるかもしれない。本稿は、「普遍主義」と「文化相対主義」の双方における暗黙の前提ともなっている医学的なまなざしを検証することによって、「FGM」論争における対立の超克をめざす。