著者
柏野 健次 カシノ ケンジ Kenji KASHINO
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集
巻号頁・発行日
vol.46, pp.17-28, 2009-01-31

英語の数ある文法項目の中で「比較表現」についての文献は内外とも比較的少なく、また現行の中学校の検定教科書を見てもその扱いはきわめて簡単である。これでは、生徒にとっても、また教える側の教師にとっても情報不足の感は否めないであろう。そこで、本稿では教えるための英文法のケース・スタディとして「比較表現」を取り上げ、形容詞の文字通りの意味と中立的な意味、as ~as構文の表す本当の意味、as~as構文の表す語用論的な意味、「鯨の構文」の訳し方、比較級と否定、「no+比較級+than」と「as+形容詞+as」の比較、最上級とthe、日本の英語教育に見られる誤解について解説していきたい。その際、日本の学習英文法で知られていないこと、あるいは誤解されていることを中心に述べていくことにする。 本稿で明らかにした情報は自信をもって英語を教えるために、教える側の人間が必ず携えていなければならない種類のものである。「教えられたように教えるな」とよく言われるが、日本の英語教育界にあっては、かたくなに新しい知識の導入を拒み、従来の教え方を断固として変えようとしない教師が多いと聞く。英語研究も医学の研究と同じように、分からなかったことが次第に分かってくるという性質を帯びているのであるから、教える側の人間の研鑽が切に望まれる。
著者
柏野 健次 カシノ ケンジ Kenji KASHINO
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集
巻号頁・発行日
vol.47, pp.19-30, 2010-01-29

本稿では、英語の(準)助動詞を題材にモダリティ論を展開していく。まず、第1節ではモダリティ研究の基本問題として「助動詞は単義か多義か」という問題を検討する。筆者の立場は、「理論的には単義説のほうがネイティブ・スピーカーの直観を反映しているが、英語教育の観点からは多義説の持つ意義も見逃すことはできない」というものである。次に第2節では、have to とmight as well を例にとり、擬似法助動詞と認識的モダリティの発達について論を進める。have to が認識モダリティを表すということは周知のことであるが、その日本における認知の歴史を振り返る。一方、might as well がWhen we went to the seasideon our summer holidays, it was so cold it might as well have been winter. にみられるように、認識モダリティを表し、as if に近い意味で用いられるという事実はあまり知られていないように思われる。第3節では、if 節に現れるwillを取り上げ、認識的モダリティの客観化の問題に挑む。ここでは、Leech (2004)の考えを手がかりに、「誰(話し手か聞き手か)のいつの時点での予測判断か」をベースに据え、If you'll be alone at the New Year, just let us know about it. の文もIf I will be late, I will call you. の文も統一的に説明できる意味論的な論拠を提出する。