著者
サディグル エルドス ラキムジャン
出版者
北海道大学
巻号頁・発行日
2010-03-25

オノマトペ(onomatopoeia)は,多い少ないの差はともかくとして,世界中の言語において観察されている。日本語は,西洋諸言語と比べると,オノマトペを豊富に持つ言語の一つと言われている。これらのオノマトペは厳密な体系をなし,様々な音韻・形態的などの特徴によって,一般語彙から区別され,固有の語彙層を形成している。筆者の母語であるカザフ語1にもオノマトペは多数存在し,文学作品,新聞,雑誌などに幅広く用いられている。こうしたオノマトペは,日本語とカザフ語それぞれにおいて,かなりの数にのぼり,3000 語以上にも達すると言われている。この語数だけからも両言語にはオノマトペが不可欠な言語要素であり,豊かな生命力を持つといえる。にもかかわらず,オノマトペが言語研究の対象として注目されることは比較的少なく,もっとも遅れている研究分野の一つであると思われる。オノマトペは音象徴(sound symbolism)の面から言語の非恣意性を明らかにしてくれる代表的な言語現象である。音の象徴印象と,その音を出すもののイメージとが直結する点で両者は有縁的な関係を構成する。このような音そのものがある一定のイメージを喚起するという音象徴説をサポートしたのはJesperson(1922),Sapir(1929),Newman(1933),Whorf(1941),Левицкий(1973),Tarte(1974)などである。彼らは,音とそれが表す意味関係の例を示し,音のイメージはすべての語ではないかもしれないが意味と関連性がある程度みうけられると主張している。一方,オノマトペは全ての言語に体系的に存在するわけではないし,子供っぽい幼稚なことばであるとされたり,オノマトペ自体が論理的なことばではなく感覚的なことばの故に捉えるところが少ないと考えられたりしたため,多くの学者に注目されてこなかったようである。しかし,日本語オノマトペに関しては最近,様々な研究がなされ,その成果として論文や専門書が発表されるようになってきた。またオノマトペが感覚的なことばであることに注目して,認知言語学の立場からオノマトペを考察しようとする研究も見られるようになった。本論文は,日本語とカザフ語のオノマトペを対象とし,形態・統語・意味的な面を考察し,両言語のオノマトペの全体像を明らかにするものである。