著者
トーマス メイソン・ジュニア
出版者
文星芸術大学
雑誌
文星紀要
巻号頁・発行日
vol.17, pp.A89-A100, 2005

1950年代の東京は過渡期にあって人々はひしめき合い暮らしは貧しかった。何年も続いた戦禍で体力は尚弱く、わずか十年ほど前の敗戦による壊滅状態から厳しい不況に喘ぐ波乱の状況にあった。1950年代半ばまでは朝鮮戦争による特需に製造業は沸いたものだが、この突然の僥倖も地方から都会への大量流入によって、住宅難や失業といった深刻な後遺症に悩む都市問題に拍車をかけただけで、事態の深刻さを浮き彫りにする結果となった。人々は、このような状況で国の先行きを憂うようになり、将来への不安から家族や近隣との関係を大切にするようになった。そうして、居心地の悪い窮屈な場所での生活の中で親切や助け合いを促す「隣近所」という概念に重きを置くようになった。ファミリードラマの作者として有名な小津安二郎は1959年に制作した「お早よう」では家族関係とそのコミュニケーションに焦点が置かれている。家族関係は言葉による対話という特定のコミュニケーションで成り立ち、支えられている。しかし、このような関係性の中でどの程度の対話が不可欠なものであり、またどの程度の会話が空疎な内容でしかないのだろうか?「お早よう」という作品で小津は、会話と沈黙(あるいは簡単な返答)の対比により人間関係を際立たせ、誇張された世界を作り出しているという観点において以下に考察したいと思う。ドラマ「お早う」では、まったくと言っていいくらい会話のないシーンが多く、ここに無意味なほんの二言三言の会話が織り交ぜられている。実際、多くのシーンでの山場には会話がなく、無言のまま数分が流れるという情景が幾度かある。しかしこの沈黙の情景はそれ自体対話が成立していないという訳でもない。例えば、小津は本作品全体を通じて放屁をコミュニケーションの一部として用いているが、これは若い主人公たちの友情の結びつきを表している。いわゆる、非言語的コミュニケーションである。このようなコミュニケーション方法を積極的に利用し、関係維持を目的とした挨拶などの空疎な会話を使うかわりに、放屁に同様の役割を持たせている。「お早う」という作品は、人間関係における潤滑剤として会話の必要性を巧みに描き出している。会話だけが唯一の意志疎通手段であるという訳ではないが、円滑な人間関係を作り出す上で最も有効な手段であることは確かである。人間がひしめき合う世界において人間関係を維持する上で、会話は不可欠な要素である。多くの場合会話は意味のない皮相的なものに過ぎないが、会話の欠如は空疎な会話以上に人間関係を損なう。小津がラストシーンの中で描いている教師と叔母の世間話や天気についての会話は典型的でもあるが、同時に、これは本作品の中で最も温もりのある光景であろう。つまり、皮相的会話が最も効果的に使われている場面であるといえる。