著者
御手洗 昭治 ミタライ ショウジ Shoji Mitarai
雑誌
札幌大学総合論叢
巻号頁・発行日
vol.23, pp.199-211, 2007-03

2006年7月4日,北朝鮮が七発のミサイルを発射した。国連安全保障理事会が北朝鮮非難決議を採択。三ヵ月後の2006年10月3日,北朝鮮は核実験を予告し,10月9日に地下核実験を実施したと発表した。その後,再度,国連の安全保障理事会が開催され核実験非難決議履行を採択(朝日,読売,毎日,北海道新聞各紙)。北朝鮮は挑戦的な姿勢をくずさず,北朝鮮の政権に対して圧力を増大させることは戦争行為であることを主張した。北朝鮮を除く六ヵ国協議参加国も電話で対応を協議した。北朝鮮の核問題をめぐっての多国間交渉は,崩壊の危機に直面しアジア太平洋地域の安全保障を揺さぶる事態となった。多国間交渉の六ヵ国協議の核心は,元米国務長官であったヘンリー・キッシンジャーも指摘するように米朝の交渉担当者が交渉するか否かにあるのではない。特に米国政府の意向が成果を左右するような問題に対しては,米国は平壌との二国間交渉を進展すべきである。また,ジョエル・S.ウィッツなどのように,多国間交渉と二国間交渉を織り交ぜ,CTR (Cooperative Threat Reduction)方式の紛争解決法を見出すべきという意見を持つ国際問題の研究者も存在する。いずれにしても,多くの課題が多々残されてはいるが,優先すべきは2005年9月の共同声明に原則が盛り込まれた双方の行動に関しての時期と交渉の内容を具体的に書き出し,それとともに北朝鮮による核兵器放棄のタイムテーブルと安全保障と一体となった経済支援計画を形にすべきであろう。以下では,2002年から2006年の12月8日までの六ヵ国協議の交渉プロセス,並びに北朝鮮の交渉戦略,CTR方式交渉・紛争解決法についての考察を加えてみたい(2006年12月20日)記。
著者
御手洗 昭治 ミタライ ショウジ Shoji Mitarai
雑誌
比較文化論叢 : 札幌大学文化学部紀要
巻号頁・発行日
vol.6, pp.A41-A54, 2000-09-30

小稿では国際交渉による紛争解決の視点から、(1)インドとパキスタンが世界の潮流に逆らってまでなぜ核実験を行ったのか、(2)また他の国際社会が両国の挑戦にいかに対応すべきなのか、(3)加えて他の米ロを含む五大核保有国がCTBT著名問題や不核拡にどう対応するのかについて、元米国国務長官であったヘンリー・キッシンジャーや他の外交交渉の専門家達の見解も含め、ナショナリズムにも照らし合わせながら若干の考察を加えてみたい。なお、2000年3月21日にニューデリーで行われた歴史的接近へのファースト・ステップといわれた「米印首脳会談」に関するインド・パキスタン戦略交渉史に関しては、昨年オランダの国際政治心理学会で発表した内容も含め、他の学会誌等で論陣を張ってみたい。