- 著者
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則藤 孝志
- 出版者
- 経済地理学会
- 雑誌
- 経済地理学年報 (ISSN:00045683)
- 巻号頁・発行日
- vol.58, no.2, pp.100-117, 2012-06-30 (Released:2017-05-19)
本稿では,梅干し開発輸入の展開とそのメカニズムを,加工業者の企業行動とそれを規定する諸要因の分析から明らかにした.その際,複数の要因=歯車がかみ合いながら開発輸入をめぐるダイナミックな構造変化が起こる仕組みを開発輸入メカニズムと捉え,とくに1990年代に起こった台湾から中国への産地移動に着目した.梅干し開発輸入の地理的パターンは,1960年代から1980年代までの日本-台湾から1990年代以降の日本-中国へとシフトしてきたが,その背景にはアジアの経済発展があった.そのなかで,日本の加工業者は開発輸入をめぐる多様な企業行動を展開してきた.台湾中心期(1962年〜1980年代)には,栽培・加工の技術指導や資材提供,産地開拓がみられ,中国転換・拡大期(1990年代〜2000年代前半)には,新たに直接投資を通じた加工場の設立や調製品輸入の導入がみられた.一方,輸入減少期(2000年代後半)には開発輸入からの撤退が相次ぐなか,差別化商品の開発や品質管理システムの導入など「量的指向型」から「品質指向型」へと企業行動の転換が図られている.このような企業行動の展開は,アジアの経済発展や日本の市場動向などの経済的要因に加えて,言語の共通性や信頼の度合い,政治的対立の有無などの文化的・政治的要因にも規定されていた.とくに1990年代における中国での開発輸入を主導したのは台湾系加工業者であり,そこでは日台中の加工業者間の「文化的・政治的距離」が大きな影響を及ぼしていた.