著者
劉 富琳
出版者
社団法人 東洋音楽学会
雑誌
東洋音楽研究 (ISSN:00393851)
巻号頁・発行日
vol.2007, no.72, pp.83-95, 2007

琉球は、一三七二年に中国と冊封朝貢関係を打ち立て、一六三四年に江戸上りが始まり、中国や日本からの文化を受けながら、さまざまな芸能を育んできた。<br>琉球組踊は、科白や音楽や舞踊などからなる琉球の伝統的歌舞劇である。組踊と日本芸能との比較についてはこれまで日本側の多くの研究者が言及し、組踊が能をはじめ日本芸能からの影響を受けたとみているが、これらの研究は中国戯曲との関連に触れていない。組踊と中国戯曲との繋がりは少数の研究者が言及しているが、琉球において中国戯曲はどのような状況にあったかについては、まだ研究が進んでいない。<br>本研究は、琉球に伝わった中国戯曲について記述した史料をめぐって、史料の面から琉球における中国戯曲の様相を明らかにしたいと思う。<br>本研究で使用する史料は主に使琉球録や江戸上り史料である。使琉球録は中国の冊封使が冊封活動の経過を書いた文書である。江戸上り史料は琉球江戸上りの経過を書いた記録である。<br>使琉球録については郭汝霖『使琉球録』(一五六一)、謝傑『琉球録撮要補遺』(一五七九)、夏子陽『使琉球録』(一六〇六)、胡靖『杜天策冊封琉球真記奇観』(一六三三) 及び袋中上人『琉球往来』(一六〇五) などの史料を調べ、一六世紀後半~一七世紀初頭、中国戯曲は琉球に伝わってきて上演されたことが分かった。<br>江戸上り史料について調べた結果、琉球の江戸上りの際に、琉球人が中国音楽 (戯曲) を演じたことが分かった。<br>以上の史料から見て、琉球における中国戯曲の受容は組踊に影響を与えただろうと考えている。