著者
堀内 萌未
出版者
Hokkaido University
巻号頁・発行日
2021-03-25

ニホンウナギの養殖では天然資源に依存しない安定的な種苗生産技術の確立が求められている。そのためには雌雄の親魚が必要であるが、本種は飼育下では性比が著しく雄に偏ることが知られている。現在は、雌性ホルモンであるエストラジール-17β(E2)を投与することで雌化を誘導しているが、商業生産を見据えるとステロイドホルモン投与に依存しない雌親魚の安定供給技術の確立が必要である。ウナギの性分化には飼育密度等による環境要因が関与していると考えられているが、飼育下で性比が著しく雄に偏る直接的な要因は不明である。本種は環境依存型あるいは環境感受型性決定をすると考えられるが、その分子機構についてはほとんど調べられていない。そこで本研究では、性分化に関与する遺伝子および性分化に影響を及ぼす環境要因に着目し、ニホンウナギの性分化の分子機構を明らかにすることを目的とした。 まず、先行研究により本種の性分化に重要な時期であるとされた全長25-35 cm の天然個体のRNA サンプルを確保するため、新たに天然個体を採集し、宮崎および大分天然ニホンウナギ189 個体の組織学的観察により、詳細な性分化過程を調べた。その結果、形態的性分化の兆候は全長25 cm 前後からわずかにみられ始め、卵巣様構造あるいは精巣様構造が認められた。その後、全長30 cm 前後から分化過程の生殖腺が現れ、全長31-34cm の非常に短い期間に卵巣あるいは精巣に分化することが示唆された。また、耳石を用いた年齢査定の結果、同じ年齢であっても生殖腺が形態的性分化後の個体は未分化個体に比べて全長が大きかったことから、生殖腺の性分化には年齢よりも体サイズが関与していると考えられた。既知の卵巣形成関連遺伝子の発現は、増殖期の卵原細胞および減数分裂初期の卵母細胞を含むシスト状の構造を有する卵巣でcyp19a1a、foxl2a のmRNA 量が高く、より発達した卵母細胞を含む卵巣ではfigla、sox3、foxn5、zar1、zp3 のmRNA量が高値を示した。このような卵巣におけるcyp19a1a の一時的な発現はニュージーランド天然オーストラリアウナギおよび福島天然ニホンウナギでも同様であると考えられ、cyp19a1a およびその転写因子とされるfoxl2a によるE2 産生は卵原細胞増殖に重要な役割を果たしていると予想された。また、精巣形成関連遺伝子のgsdf、amh、foxl2b、foxl3b のmRNA 量は全長33.7 cm 以降の精巣からより高値を示す傾向がみられ、本種の精巣分化に直接関わる遺伝子がそれらの発現以前に存在する可能性が考えられた。しかし、形態的未分化生殖腺では、既知の性分化関連遺伝子の発現に二型性がみられる個体はほとんど認められなかった。 次に、天然個体との比較を行なうため、飼育個体の性分化過程を調べた。飼育下で卵巣個体を得ることは難しいことから、性分化に飼育密度(他個体の存在)のストレスが影響しているのではないかという仮説のもと、自然環境下での単独および低密度飼育実験を行なった。養成ニホンウナギの性分化過程は天然個体とは異なり、全長20 cm 前後から卵巣分化、遅れて全長25 cm 前後から精巣分化を開始する個体が観察され、卵巣への分化が先に起こることが示唆された。さらに、精巣分化過程では精巣卵を持つ個体もいくつか観察されたのに対し、天然個体では観察されなかったことから、飼育環境が影響している可能性が考えられた。既知の性分化関連遺伝子の発現は、cyp19a1a、foxl2a、foxn5、zar1、zp3 は天然個体と同様の発現動態であったが、gsdf、amh のmRNA 量は卵巣分化過程および分化後の卵巣以外の全ての生殖腺で高値を示す傾向がみられた。また、形態的未分化生殖腺が9 個体認められたものの、卵巣様構造および卵巣分化過程の生殖腺を含む卵巣が28 個体、精巣様構造の生殖腺を含む精巣が27 個体認められ、性比はほぼ1:1 になった。従って、本種は基本的には遺伝的性決定をするが環境(特に他個体の存在)の影響を受ける環境感受型性決定をすると思われ、他個体の影響がない飼育環境下では雌作出が可能であることが明らかになった。加えて、現在行なわれているE2 投与による雌親魚の作出は遺伝子攪乱を招くことも懸念された。 最後に、性分化の分子機構を明らかにするため、卵巣精巣間で発現に差のある遺伝子を次世代シーケンスを用いたRNA-seq 解析により網羅的に探索し、その後定量PCR によりmRNA 量に差のある新規性分化関連遺伝子を絞り込んだ。本研究では卵巣個体間でも既知の卵巣形成関連遺伝子の発現にばらつきがみられたため、cyp19a1a のmRNA 量が高値を示す天然個体および単独/低密度飼育個体の卵巣分化過程の生殖腺および卵巣、cyp19a1a のmRNA 量が低値を示す単独飼育個体の卵巣、天然個体および単独飼育個体の精巣を用いてシーケンシングを行ない、得られたリードをニホンウナギのドラフトゲノム配列へマッピングした。続いて、マッピングされたリードをもとにコンティグを形成し、それらの相対量(RPKM 値あるいはFPKM 値)を卵巣分化過程の生殖腺および卵巣と精巣で比較することにより候補遺伝子を選抜した。卵巣分化過程の生殖腺および卵巣で相対量が高い49 遺伝子、精巣で相対量が高い11 遺伝子をそれぞれ候補とし、実際に定量PCR によりmRNA 量の測定を行なった。その結果、cyp19a1a のmRNA 量に関係なく比較的高い発現を維持し続ける可能性のある5 遺伝子(zglp1、pkp4、aurkc、sdc1、erbb3)が同定された。特に、zglp1 はごく最近マウスで卵母細胞の分化に必須な転写因子として同定されており、本種においても同様な役割を果たすことが示唆されたことは特筆される。また、EGF(上皮成長因子)受容体として知られるerbb3 をはじめとする4遺伝子は細胞分裂に関与する遺伝子であり、卵原細胞の増殖に関与すると推察された。さらに、精巣では、9 遺伝子(col1a1、pcdha8、prkar1a、recql、map2k5、rgs11、ednrb、arsd、Tetraspanin)が高いmRNA 量を示した。これらはコラーゲン産生、細胞接着および体細胞増殖などに関与する遺伝子であり、精小嚢形成に関与すると思われた。本研究により、既知の卵巣形成および精巣形成関連遺伝子よりも先行して発現する多くの遺伝子を初めて同定できた。 以上本研究では、天然ニホンウナギおよび養成ニホンウナギの両方の生殖腺における詳細な性分化過程と、既知の性分化関連遺伝子の発現動態を初めて明らかにした。これまで、本種はE2 投与個体の卵巣分化過程のみが報告されていたが、本研究ではE2 未投与の飼育個体の卵巣および精巣を用いた性分化機構解析が可能となった。また、自然環境下での単独飼育により、得られる生殖腺の性比がほぼ1:1 になり、本種の性は遺伝的に決まることが示唆された。さらに、全ての卵巣分化個体で共通して発現する遺伝子を初めて同定した。これら遺伝子の発現動態から、形態的未分化生殖腺であっても性の予測が可能になると期待される。本研究成果により、不明瞭な点が多かった本種の性分化の分子機構解明が大きく前進した。また、これらの知見は、将来的に本種で未だ実現していないホルモン投与に依存しない性統御技術の確立に貢献できるであろう。