著者
塩入 秀敏
出版者
上田女子短期大学
雑誌
紀要 (ISSN:09114238)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.A11-A20, 2003

山背王は長屋王の庶子である。長屋王の変に際して縁坐は免れたが、罪人の子としてその後の運命はあまり期待はできなかったはずである。ところが、ある時、突如として蔭位制度の規定以上の叙位にあずかり、最終的には従三位まで昇進して参議礼部卿として衆去している。皇位継承をめぐって政権抗争が渦巻き幾多の皇親貴族が失脚・没落していく中で、山背王は、長屋王怨霊さわぎの恩恵、橘奈良麻呂の変の密告、藤原弟貞への改名、藤原仲麻呂への接近などを経ながら、渦の中心とはつかず離れずの関係を保ちつつ、ほどほどのところで身を全うしたといえる。この山背王 (藤原弟貞)の生き方を、契機となったと思われるできごとや事件などとの関わりを通して見ながら考えてみることにより、一つ間違えばどうなるかわからない危険な状況にあった奈良時代皇親貴族の処世の一例として考察してみた。