著者
白石 昌春 室伏 力
出版者
JAPAN TECHNICAL ASSOCIATION OF THE PULP AND PAPER INDUSTRY
雑誌
紙パ技協誌 (ISSN:0022815X)
巻号頁・発行日
vol.34, no.6, pp.399-405, 1980-06-01 (Released:2009-11-16)
参考文献数
1

1. 悪臭対策以前の状況鈴川は, 北に富士山, 南は駿河湾に面した静かな農村であった。昭和12年, 内地で最初のクラフト工場が建設されたが, 工場の規模は拡大され, 他の産業も立地し, 工業地帯と変った。公害問題は, 当初粉じん, 次いで田子の浦港のヘドロ, そしてクラフト工場の悪臭が問題となった。2. 新施策鈴川工場は, 1971年に新たなポリシイを決めた。(1) 鈴川工場は公害を出していることを認識する。(2) 隣接住民との対立を最小にすべく努力する。(3) 最も効果的な部分より設備改善を進める。(4) モニターを置いて潜在的な公害原因を探知する(5) 公害の発生源, 量と, 住民に対するインパクトを調査する。3. 工程の改善(1) 悪臭ガスの集合と, キルンとRBでの燃焼。(2) 排水の蒸気加熱真空型ストリッピング。(3) RB関係の改善。モードースクラバーの設置, 無臭化ボイラーの設置。大昭和一荏原 (D-E プロセス) の設置。4. 隣接住民の工程改善に対する反応ガス集合は, 悪臭減少の評価が出たが, 3~6カ月後には, 悪臭が元にもどった, と言われた。鼻が鋭くなったためである。ストリッピングも評価が高かったが, 同じく3~6カ月後には元にもどった, と言われた。回収ボイラーについては反応が出なかったが, 工場の態度は好感が持たれた。重要なのは緊急時に濃い悪臭物質が流れた場合, 無臭に馴れた住民にインパクトが大きい点である。鈴川工場は, 1971年以来, 40名のモニターを配置し, 粉じん, 騒音, 悪臭, 振動のデータを集めている。工場はこれをもとにして, 設備改善を進めたが, その結果が良くモニターの記録に表われた。悪臭に対する感覚は, 悪臭物質が1/10になって, 1/2になったと感ずると言われる。鈴川工場の悪臭物質は, 1972年と比較して, 8.7%以下であるが, 未だ隣接居住者は, 悪臭が消えたとは思っていない。