著者
新舍 規由
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.815-820, 2003-09-10

はじめに 医学部3年の春にラグビーの試合中の事故で頸髄損傷,C7完全四肢麻痺となり,常時,車椅子の生活となって今年で15年となる.恩師でもあり現在の上司でもある石神重信先生から厳しくも温かいリハビリテーションを受け,当時としては画期的な早さ(受傷後3か月)で学業に復帰し,留年することなく卒業でき,医師免許を取得した.その後,防衛医大のリハビリテーション部に入局し,現在に至る. 自分自身が障害者であると共に,障害をもった患者さんに接する機会の多いリハビリテーション医である(図1)という理由から,今回の原稿依頼が来たのであろう.職業柄「障害受容」という用語を耳にすることは多いのだが,実は私自身が「障害受容」という用語について受容していない.抵抗感がある.正確に言えばどうもピンとこないのである.そもそも障害受容とは何なのか.障害後に生じる多様な心理状態の変化の結果,一見,障害を受け容れたかに見える状態を便宜的に形容するために研究者が恣意的に作った用語にすぎないように思える.一体障害は受容できるものなのか? 受容しなくてはならないものか? 障害受容に関する考え方の変遷など一般的なことは過去の総説1-3)や本誌の他稿を参照されたい. 予め断っておくが,今回,障害者当事者の立場での執筆依頼であるので,その言葉通り障害者としての私個人のきわめて私的な意見である点をご了承いただきたい.というのも,障害者の立場から書かれた障害受容に関する学術的論文は見当たらず,一般大衆向けの手記が散在する程度であるからである.先天的な障害では状況が変わってくるので,本稿では後天的な障害,いわゆる中途障害,特に脊髄損傷を念頭に置きながら筆を進めたい.