著者
新藤 静夫
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.78, no.7, pp.449-470, 1970-01-25 (Released:2009-11-12)
参考文献数
32

1) 本地域の地下地質層序は下位より三浦層群下部, 同上部, 東京層群下部, 同中部, 同上部, 武蔵野礫層以上であつて, それぞれの関係は深井戸資料, 電気検層資料, その他によつてかなり正確に識別できる。またこれらは周辺地域における従来の知見ともほぼ一致する。2) 本地域における三浦層群は大きく北東に向かつて緩傾斜をなす向斜状の撓曲構造を示し, 関東造盆地運動の性格をよくあらわしている。そしてこの向斜構造に伴つて大構造の傾斜方向を軸とする顕著な波状構造がみとめられる。3) 以上の地質構造を形成した地殻変動は本層群の堆積中から継続的に行なわれていたと解される。4) 三浦層群の上面には旧河道に相当すると考えられる北東方向の谷地形が形成されている。東京層群下部層はこの凹地を埋積して分布している。なおここにみる地下谷の延長を周辺の丘陵地域にのばすと, 現河川で一致するものが多く, その原型の形成が古いものであることが推察される。5) 上記の地層群を覆つて扇状地性の堆積物と考えられる礫質の地層が広く分布している。これが東京層群中部層であつて, 本層の下底部にも北東方向の顕著な谷地形がみとめられる。6) 三浦層群の上面と東京層群下部層の上面にみとめられる谷地形がともに三浦層群の構造とよく一致している事実から, 三浦層群の地質構造を支配した造構造運動は継続してそののちの地形の形成に影響をおよぼして来たことが推察される。7) 上記の地層の上位に東京層群上部層が重なつている。この地層はかっては, 武蔵野台地の全域を覆つていたと考えられるが, 現在ではその大部分が浸食によつて欠如していて, その分布が武蔵野台地の東縁部と西端部地域の地下に限られている。周辺の所沢台, 金子台, 日野台等を構成している段丘礫層は本層の延長に相当すると考えられる。8) 東京層群中部層上面の地下谷の分布とこれを埋積する東京層群上部層の層相から, 少くとも武蔵野礫層の堆積以前は当地域の水系は継続的に北東ないし, 東北東方向をとつていたものと考えられる。9) 多摩川が現在のような流路をとるにいたったのは上記の水系を強制的に変えるような運動があつたためである。この地変は武蔵野台地の北西部が南東部に対して相対的に上昇するような地盤の傾動であつたと考えられる。そして武蔵野段丘や立川段丘の形成にはこのような地盤の傾動も関与している可能性がある。10) 武蔵野台地の北西部付近での三浦層群の傾斜, 東京層群下部層および中部層の基底部の傾斜がいずれも他にくらべて異常に大きいというのもこの推定をうらづける資料としてあげることができる。