- 著者
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時津 啓
- 出版者
- カルチュラル・スタディーズ学会
- 雑誌
- 年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
- 巻号頁・発行日
- vol.5, pp.79, 2017 (Released:2019-10-09)
- 参考文献数
- 27
本稿は、メディアと生徒の関係に注目し、バッキンガムが抑圧/自律の二元論をいかに構成し、それが学校教育論としていかに応用されていったのかを検討した。さらに、バッキンガムの展開から二元論が有する両義性を明示し、その学校教育論としての可能性を考察した。バッキンガムは、マスメディアのイデオロギー性(メディアの特性論)をめぐってマスターマンと論争を行い、メディアの特性と子どもへの影響を結びつける。そしてメディアと生徒の関係を抑圧/自律の二元論で捉える。その後この二元論は、授業実践における教師の役割と結びつけられ、マスターマンを批判するために利用された。さらには、メディア批判の教育論/メディア制作の教育論、読むこと/書くこと、受動的知識/能動的知識などの教育方法論へも応用され、新たな二元論を生み出すことになった。デューイやイリイチとも連続性を有するこの二元論を、本稿は、同時代の社会状況、とりわけメディア教育のカリキュラム化(制度化)と照らし合わせた。
バッキンガムとマスターマンの理論展開に注目すると、両者はメディア教育のカリキュラム化(制度化)内部でメディアと生徒の関係を捉えるようになる。具体的には、抑圧/自律の両義性を強調するようになる。本稿は、この展開からマスターマン(「解放の教育学」)とバッキンガム(「参加の教育学」)の学校教育論としての妥当性を検討し、次のことを明示した。マスターマンの試みは抑圧関係を前提とする「解放の教育学」のため、抑圧/自律の両義性と矛盾する。それに対してバッキンガムの試みは、生徒が授業参加を通して身体レベル、物質レベルにおいて漸進的にメディアとの関係を構築していく可能性がある。本稿は、制度と「知」の関係を模索するメディア教育学者バッキンガムの理論展開から、「解放の教育学」から「参加の教育学」への転換の必要性を明らかにした。