著者
李 秀珍
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.37, 2017 (Released:2019-10-09)
参考文献数
45

本稿は、戦間期日本内地における新マルサス主義者の「人口問題」をめぐる言説を分析 する試みである。日本内地では1910 年代末頃から悪化した経済や急激な人口増加を背景に、 人口を政治・経済的な問題として規定し、その解決策を模索する議論が社会改良主義者や 知識人を中心として広がっていた。本稿では、日本で初めて産児調節(産児制限)を提唱 した「日本産児調節研究会」(1922 年5 月発足)と新マルサス主義運動を先導した石本静枝 (加藤シヅエ, 1897-2001)や安部磯雄(1865-1949)の議論に注目し、戦間期日本で展開され た新マルサス主義の人口問題をめぐる言説構成を検討する。特に本稿では、新マルサス主義者の優生学に対する認識は彼らが人口を量と質の問題として規定する言説構成にどのよ うな影響を与えたのか、また、当時内地の人口を問題化した新マルサス主義の言説はいか なる帝国主義的要素を内包していたのか、という「優生学」と「帝国主義」に関する二つ の問題に着目し、政治史及び思想史の視点から戦間期日本における産児調節運動の言説構 造やその歴史的意義を再考察する。