著者
櫻庭 聡
出版者
北海道大学
巻号頁・発行日
2014-03-25

【背景・目的】ヒトの大脳には視覚情報を処理する機構が大きく分けて2つあり、そのうちの背側視覚経路は後頭葉から頭頂葉後部(Posterior Parietal Cortex: PPC)に向かってのびる経路である。本経路は対象の位置や運動の情報を意識に上る形で処理する経路として知られているが、読字機能との関連性についてもその可能性が検証されてきている。例えば、背側視覚経路の機能と読字能力に関連性があることを示す文献が散見されていたり、letter-by-letterの読みを行った時やMixed Caseと呼ばれる大文字と小文字を組み合わせたものの読字、あるいは中国語において簡体字の部首を引き離した文字を読むときにPPC が賦活することが解っている。また、英語や日本語に共通する要素として左から右へ読む言語体系であることが挙げられるが、両側PPC は文を読むためのサッケードと関連していることを示す報告がある。背側視覚経路の一部として考えられるPPCの選択的障害では視野が保たれていても文章を目で追いながらスムースに読み進められない。一方で、右傍中心視野の半盲性難読でも後頭葉白質の損傷であるにも関わらず、同じように文を読む速度が低下したり、読み飛ばしが多くなることから、両者は同じような臨床像を呈している。このことから、PPC では文を読む時に右傍中心視野から入る文字情報を何らかの形で処理しているものと思われる。また、文字を読む際にPPC において周辺視野の正字的あるいは音韻的情報が処理されている可能性があるが、これは語間空白が明確な英語での知見である。語間空白は単語間の境界線を意味する視覚的な手がかりとなることは知られており、日本語では存在しない。またひらがなのみの文章の方が漢字仮名交じり文よりも眼球運動において悪影響が生じやすい可能性があること、単語の同定は漢字仮名交じり文の方がひらがなのみの文章よりも速いことが示されていることも併せて考えると、日本語ではひらがなと漢字を右傍中心視野で区別し、スムースに文を読むための眼球運動を引き起こしているのではないかと推察される。この区別がPPCなどの背側視覚経路で行われている可能性がある。このPPCなどの背側視覚経路の働きを行動学的に調べる手法がある。Continuous FlashSuppression と呼ばれる画像マスキングの手法は、意識的に知覚させない状態で画像を提示することができ、V3A/V7 と呼ばれるPPC 付近と、頭頂間溝(IPS)付近といった背側視覚経路関連領域の活動を推測することが出来るツールとして用いられてきた。本研究では、Almeidaら(2008)や我々の先行研究(Sakuraba et al., 2012)を踏襲し、CFS とプライミングパラダイムを用いて背側視覚経路においてひらがなと漢字を区別している可能性とその提示視野の関連性について検討した。【方法】被験者は大学生及び大学院生(各実験20 名)である。これら被験者に対し、パソコンを用いてCFSと呼ばれるプライミングと両眼競合を利用した弁別反応課題を実施した。赤緑アナグリフを用いることで、一つの画像から左右の眼に各々違った像を入力することができる。利き目にランダムノイズ、非利き目には低コントラストのプライム画像を提示することで、両眼競合により被験者はプライム刺激の内容を意識的に知覚することはできない。プライム刺激提示後、意識的に知覚できるターゲット刺激を弁別するのに要した反応時間が計測される。実験1ではひらがなと漢字各々で音韻的要素を統一するようにそのひらがなの元となる漢字を使い(「あ」であれば「安」)、各々の文字様式に関して正字・スクランブル文字ターゲットのプライミング効果の差を検討した。プライミング効果は先行研究に倣い先に提示されるスクランブル文字プライム刺激とその後に提示される正字タ- 3 -ーゲット刺激の組み合わせのように不一致条件の時の反応時間から、プライム刺激もターゲット刺激も正字のように一致条件の反応時間を減算して求める。実験2では、実験1で用いた漢字の複雑性を鑑み、より画数の少ない漢字を使用しそのスクランブル文字も作成して両者のプライミング効果について検討した。さらに実験3では有意なプライミング効果が得られたひらがなに関して、提示視野を視角にして3°左右へ移動したプライム刺激を提示し、その後に提示されるターゲット刺激への弁別反応時間を計測した。被験者が画面中央を注視できているか否かをアイトラッカーによりリアルタイムで実験者が目視し確認した。用いる文字は実験1のひらがなと同様であった。【結果】実験1ではひらがなに関してそのスクランブル文字よりも正字ひらがなにおいて有意に高いプライミング効果を示した(paired T 検定;t(29)=2.741, p<.05) 正字プライミング効果7.062ms(SEM=2.622) スクランブル文字プライミング効果-1.881ms(SEM=1.986))。ところが、漢字に関しては両者に有意なプライミング効果の差は見られなかった(t(19)= .380, p=.708(ns) 正字プライミング効果 1.985ms (SEM=2.322) スクランブル文字プライミング効果 .582ms (SEM=2.666))。実験2ではより画数の少ない漢字を用いて再検討したが、やはり有意なプライミング効果は得られなかった。(t(19)= -.469p=.644(ns) 正字プライミング効果 .38ms (SEM=3.90) スクランブル文字プライミング効果 2.94ms (SEM=3.91))また実験3ではひらがなに対し、その提示視野を左右に移動させて検討した。右視野にプライム刺激を提示した場合、実験1と同様に有意なプライミング効果を得た(t(19)= 4.050, p<0.01 正字プライミング効果 12.30ms (SEM=4.98) スクランブル文字プライミング効果 -.63ms (SEM=2.61))が、左視野にプライム刺激を提示した場合そのような有意な効果は得られなかった(t(19)= 1.517, p=0.146(ns) 正字プライミング効果 4.43ms (SEM=3.55) スクランブル文字プライミング効果 -.70ms (SEM=3.02))。【考察】実験1より、ひらがなには有意な正字プライミング効果が得られたが、漢字には見られなかった。このことは、背側視覚経路ではひらがなと漢字の区別に必要な情報が処理され、そのメカニズムはひらがなを特異的に処理することによって得られる可能性が示唆された。また、実験2でひらがなと同じ程度の画数の少ない漢字を用いても有意なプライミング効果が得られなかったことから、画数による視覚的複雑性は実験1には影響が無いものと思われる。さらに実験3では右視野にひらがなのプライム刺激を提示した場合、実験1同様に有意な正字プライミング効果が得られたが、左視野に提示した場合はその限りではなかった。このことから、parafoveal preview benefit は背側視覚経路(Fangら(2005)のCFS を用いた実験が示唆するV3A/V7 やIPS 領域)で処理されている可能性が行動学的に示唆された。このことは、我々が普段行っているスムースで連続的に文を読む時の眼球運動は、PPC などの背側視覚経路によってひらがなを特異的に処理することによるひらがな・漢字の区別するメカニズムの働きによってなされる可能性があることを意味する。また、本経路ではひらがなに有意なプライミング効果が得られたが、このことは画数による視覚的複雑性の影響というよりはむしろ表音文字であるひらがなと表語文字である漢字の持つ言語的性質の違いに起因する可能性がある。ひらがなの方が音韻的要素の影響を強く反映しており、今回の結果はSakuraiら(2008)の背側音韻経路の仮説を部分的に示唆するが、背側視覚経路との関わりを言及するにはCFSの性質に関する脳機能イメージングの側面からの検証も含めたさらなる行動学的・脳機能イメージング的検討が必要であると考える。