- 著者
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河村 昌子
- 出版者
- 千葉商科大学
- 雑誌
- 千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
- 巻号頁・発行日
- vol.45, no.3, pp.51-64, 2007-12
小品文の提唱者として中国文壇で成功を収めていた林語堂(1895-1976,Lin Yutang)は,英語読者向けに英語で中国文化と中国人の国民性を概説したMy Country and My People,New York:Reynal&Hitchcock,September 1935.によって,アメリカ出版界にその名を轟かせるようになった。林は多くのベストセラーを放ち,「一人の林語堂の存在が,数名の有能な外交使臣をもつことに数倍優る」と称されるほどの影響を欧米に与えた。林の著作は,同時代の日本でも注目を浴び,あいついで邦訳が出版された。林語堂の言論は,内的な深い思索の表出というより,ジャーナリスティックな効果を含みおいて展開されたものだと言える。そのため,林語堂の言論の文字通りの内容だけでなく,彼の言論が受け止められた諸相の方にも見るべきものがあると考えられる。そこで本稿では,林語堂の言論が受け止められた諸相の一ケースとして,戦前の日本における邦訳出版に注目し,林語堂の著作が戦時下の日本でどのように紹介され,林語堂の著作をめぐってどのような動きがあったかを検証した。