2 0 0 0 作話症

著者
越賀 一雄 浅野 楢次
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.15-20, 1959-01-15

Ⅰ 話をする,あるいは話を作るということが,人間の精神生活の発達の中で極めて大きな意味を持つていることは,子供の心理的発達をみても十分にうなずかれることであり,それは人間学的にも深い意義を持つている。「目は口程に物を言い」ということもあろうが,まず話をする,話を作るといえば言葉なしでは不可能であり,作話症とか妄想も根本的には言葉というものについて考えねばならないであろう。 話をするといえば,いろいろな意味があつて一概にはいえないが,話を作るといえば,そこに若干悪い意味を含んでいるようである。「あの人のいうことは作り話が多い」というのは少し非難めいた言葉であつて,はつきりいえば嘘つきということなのである。しかし大体,聴く人の注意を惹きつける上手な話は嘘の多少混じつた話であつて,ただ事実を無味乾燥にくどくどと述べただけではあまり面白くないのが普通である。話は横道に入るが,精神病医の患者の症状の記載にもそんな趣がある。ただ患者のいつたり,振舞つたりするところを忠実に述べるのみでは上手な記載とはいえないのであつて,不必要なところは適当に省略し,必要な点は強調してこそ初めて上手な記載といえると思う。勿論あまりに1ヵ所を強調しすぎて虚構の作話になるのは困る。省略,強調は精神病医が勝手にやるからといつてその記載が主観的だなどと決めてかかるのは主観客観ということを本当に弁えぬ主観的独断である。かかる点で精神病医の記載には文学に相通ずるものがあるように思う。誰かが一体妄想について果して精神病医と文学者とのいずれがこれをよく理解しているであろうかと多少精神病医に皮肉まじりに問いかけていた精神病医があつたが,これは考察に値する問題を含んだ問いかけである。