著者
田中 直紀
出版者
関西学院大学
雑誌
年報・フランス研究 (ISSN:09109757)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.81-94, 2006

ランボーによる散文詩作品『地獄の季節』(1873)は九つのパートをもってひとつの物語をなす。彼の二通のいわゆる「見者書簡」(1871)に示された文学理論の実践による作品であると同時に、その実践の過程が物語りの筋となっているところから、見者理論の実践そのものについての作品ということができ、故にランボー自身の伝記もしくは精神の伝記ととらえられてきた。ランボーが書簡で「見者詩人」として提示する詩人像は、ロマン派の預言者的詩人像を汲むものあり、人間精神に「未知なるもの」をもたらし、その根本的変革を図るものとして、プロメテウスに喩えられている。『地獄の季節』の語り手はランボーの分身のような人物であり、神秘を暴く魔術師を自称し、キリスト教思想と近代の進歩主義をともに否定対象としている。そして労働の推奨は語り手の叛逆対象者の思想の中に位置を占め、語り手の挑戦は常に労働の拒否をともなっているのであった。本論では、語り手の試みの何たるかと、その放棄への軌跡とを裏側から浮かび上がらせる鍵として、作中における労働についての言及を追っていくことにする。