著者
福地 重孝
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.104-105, 1965-08-01

女らしき女丈夫 「婦人新聞」は矢島楫子を評して「男らしき女丈夫は世間に少なくないが,女らしき女丈夫に至っては,刀自において初めてこれをみる。社会を呪い,世間を悪罵する矯風家はその人に乏しくないが,教育家的先達的態度を以て社会を指導せんとする矯風家は,刀自をおいて他に多くみない。」(大正3・11・20)といっている。 彼女が風俗改善のため,東京婦人矯風会を起こしたのは1886年(明治19)であり,それを日本婦人矯風会として全国的組織としたのは1893年(明治26)であった。これは日本でもっとも大きな全国的婦人団体のさきがけということができよう。もっとも半官製の奥村五百子らの愛国婦人会のごとき軍事援護団体があったが,楫子らのそれは,その根底にクリスチャンとしての信仰と強烈な婦人解放の意志が蔵せられていたのである。そして,矯風会は満州事変以後一時沈滞したが,戦後たちなおり日本キリスト教婦人矯風会として活躍し,婦人運動の一翼をにない,国際平和運動にまでつらなって活動しているのである。