著者
稲崎 舞
出版者
国立音楽大学
雑誌
音楽研究 : 大学院研究年報 (ISSN:02894807)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.97-110, 2009

本研究は、イーゴル・ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky,1882-1971)の12音技法作品の楽曲構成原理を解き明かそうとする試みの一つである。ストラヴィンスキーの全時代の作品を通して表れている特徴として、しばしば指摘されるのは、「ブロック・ジュクスタポジション」と呼ばれる楽曲構造である。確かに、完成された楽曲をスタティックなものとして捉えた場合に、この構造は、12音技法作品においても見出すことができる。しかしながら、12音技法による個々の音列と、こうした構造との間の関係性に対しては、十分に論じられていないように思われる。そこで本研究では、完成された楽曲をスタティックなものとして捉えるのではなく、楽曲が完成されるまでの作曲プロセスを辿る形でこの問題に近づくことを試みた。今回、1951年以降に書かれた12音技法作品を対象に、パウル・ザッハー財団所蔵のマニュスクリプトに基づき、分析を行った結果、作曲プロセスは、大きく二段階に分かれていたことが確認された。第一段階は断片的なスケッチを作る作業で、第二段階はそれらの断片的スケッチを繋ぎ合わせて全体を構築してゆく作業である。しかし、断片的なスケッチをただ並置させただけでは、全体性の保証は得られないはずである。なぜ、断片的なものから全体を構築してゆくことができたのか。この問題を考察するにあたり、《レクイエム・カンティクルス》(1965-66)のスケッチの断片に執拗に繰り返されていたある音に着目した。その音とは、ストラヴィンスキーが晩年に多用した「6音ローテーション・システム」によって見出された音であった。「6音ローテーション・システム」とは、エルンスト・クルシェネク(Ernst Krenek, 1900-91)が創案した12音技法の発展的な用法である。このシステムのうちの「音程のローテーション」によって導き出された「同一音から成る垂直配列音」が、断片と断片の「ジョイント」のような役割を担っていた。このことから、二段階の作曲プロセスの前段階に、全体の整合性をとるための「ジョイント」となる音として、「同一音から成る垂直配列音」を断片の中に設定するという作業があったのではないか、という仮説を立てるに至った。ストラヴィンスキーは、12音技法というオートマティックな性質をもったシステムを使用しながらも、それが完全にオートマティックになることを避けたのである。こうした問題は、12音技法作品においてのみならず、「ストラヴィンスキーは、作曲行為の中で、部分と全体の関係性をどのように捉えていたのか」という根本問題とも深く関わるであろう。