- 著者
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葉 倩璋
- 出版者
- 経済地理学会
- 雑誌
- 経済地理学年報 (ISSN:00045683)
- 巻号頁・発行日
- vol.40, no.3, pp.202-219, 1994-09-30 (Released:2017-05-19)
- 被引用文献数
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3
1895年, 台湾は日本の植民地となった. 本稿では, 日本植民地下における台北の都市計画がその統治政策によっていかに規定され, また台北の都市空間構造がどのように形成されていったかを分析する. 台湾の植民地統治政策は, 大きく三つの時期に区分される. すなわち, 1895〜1919年の, 治安平定を目指した撫民政策期, 1919〜1936年の同化政策期, そして1936〜1945年の皇民化政策期である. 都市計画は, 撫民政策期には植民地統治の象徴的建造物の建設などにみられる植民地都市空間の創出を目的とし, 同化政策期には, 都市の機能性, 快適性を追求する, 内地より先進的な都市計画事業が実行に移された. そして1936年には台湾都市計画令が公布される. 皇民化政策期には, 台湾都市計画令に基づく最新の都市計画事業により, 日本人の居住空間や宗教空間の充実と拡張化が図られた. 台北の社会空間においては, 日本人と台湾人との居住分化の構造が顕著にあらわれた. それは,「同化」を促す統治政策の下での都市計画の限界を示すものである. 居住分化は, 植民地という固有の社会状況を示すものであり, 植民地都市計画は, 「植民地」という枠組みのなかで自ら限界を有していたのである.