著者
藤島 達朗
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.3, pp.p75-79, 1974-12

親鸞(1173-1262)を宗祖とする浄土真宗に於ける歴史的反省及びその述作は,本願寺三世覚如(1270-1351) による宗祖親驚の伝記研究(「報恩講私記」,「親鷺伝絵」,「口伝妙」等)にはじまり,8世蓮如(1415-1499)の生涯を,その子実悟(1492-1583)によって回顧記録されたことがこれにつぎ,つづいて蓮如の孫顕誓(1499-1570)により,永禄11年(1568)「反古裏書」が撰せられて,ここにはじめて通史的述作を得た.もっともこれは本願寺の歴史が中心で,8世蓮如,9世実如(1458-1525)10世証如(1516-1554)11世顕如(1543-1592)に,やや詳細ではあるが,全体として簡略,本格的な編述とはなしがたい.江戸時代に入ってその正徳5年(1715)良空(1669-1733)によって「高田開山親鶯聖人伝」が著わされ,伝として一応完成されたものが,はじめてここに出現した.世の泰平とともに信徒の旧跡巡礼が盛んとなり,その機運にうながされて,祖伝研究の一班としての遺跡研究が盛んとなり,「据聚抄」(1700刊),「遺徳法輪集」(1711刊)等を筆頭に,いわゆる「廿四輩記」類が続出したが,これは玄智(1734-1794)編,明和8年(1771)刊の「大谷遺蹟録」で極まった.以上の如き風潮のもとに,祖伝,寺伝をふくむ真宗の通史が,全書的なかたちを以て成就されたのが「大谷本願寺通紀」である.真宗に関する歴史的研究は,明治以前に於て,これに極まるというべきであるが,以下述べる如き事情で,完全に刊行せられず,小異をもつ幾種類かの写本として伝えられ,漸く明治45年の「大日本佛教全書」,大正3年の「真宗全書」中にて,それぞれ活字化された.写本の異動は,それらを底本としたこの二本に直にあらわれている.特にひろく普及している「大日本仏教全書」本(以下「仏全本」という)が,未整理のままである稿本を以てしているので,完成本である「真宗全書」本(以下「真全本」という)其他と比較して,その書誌学的な開明を施こそうというのである.