著者
野崎 清孝
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.21, pp.p89-93, 1993-03

日本地理学史上、集落地理学のうちの村落を対象とする研究一村落地理学一の占める役割は大きい。昭和初年の小川琢治と牧野信之助による奈良盆地における環濠集落と砺波平野における散村の起源をめぐる論争以来、多くの村落研究が進められてきた。綿貫勇彦は、村落研究を自然科学的方法と社会科学または歴史学的方法とのかかわりの中にもとめたが、基本的には景観論、集落形態論を重視する立場をとった。これは彼がルドルフ・マルチニーや、ハーパート・シュレンガーなどのドイツ学派の影響を受けたためであった。村落研究は歴史学や社会学、経済学、民俗学の方面からも進められたことはいうまでもない。中村吉治は、村落はもちろん歴史的存在であるから村落構造を知るため歴史的分析を行うのは当然であるし、現在の実態の調査を通じてそこに見られる歴史を知り、また書かれた史料や慣習、または記憶されている過去の史料をそれにあわせ考察することによって本質に近づかねばならないと述べた。鈴木栄太郎は、農村社会学の体系的理論を展開したが、とくに集団を結束させている要素の分析の必要性を強調した。柳田国男の民俗学は、民俗事象を研究の対象としたが、村落そのものを研究対象とするものではなかった。その後、柳田勝徳は、従来の民俗学のあり方を反省し、民俗学独自の立場から村落の把握が必要であることを主張した。さらに小野武夫は、村落研究の一面は政治史であり、社会史であり、経済史であるとともに、他の一面は地理学であり、民俗学であると考えたが、この構想は総合的村落研究の出発点であった。こうした研究の蓄積が進む中から村落の歴史地理研究は次第に社会地理学との接近によって村落の社会構造や地域における村落間の結びつきなどを解明する方向に研究の中心が移ってきた。最小の地域統一体を基礎地域とし、古い基礎地域の連合、あるいはそれをもとにした基礎地域の膨張がすでに中世にもみられたとする見解を述べたのは水津一朗であった。本稿は、このような村落研究の進みの中で村落をどのように歴史地理的に把握し、分析するべきかの問題点をとりあげることにしたい。ここではとりあえずa中世的秩序からの継承、b村落の成立と変遷、c村落の内部=構造、d村落結合と地域的紐帯に限定して述べる。