著者
野村 益寛
出版者
日本英語学会
雑誌
Conference Handbook
巻号頁・発行日
vol.29, pp.229-234, 2011

ラネカーの主観性の構図は、ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』の中で視野は決してこういう形をしていないとした図とよく似ている。だからといって、ラネカーの構図がナイーブだということには必ずしもならない。我々にとっては「主観性」をどう考えれば言語現象をよりよく説明できるかが問題だからである。 さて、池上 (2000)は日本語における主語の省略という現象を「主観的把握」の現れと分析している。他方、Langacker (2008: 468)では、(I) don’t trust him.と主語を省略した場合、省略された話し手はimmediate scope (=onstage)には位置しないが、objective content (OC)を構成するとされる。onstageの要素がobject of conceptionであり、OCがobject of descriptionと定義されることを考えると、省略された話し手は、概念化の対象ではないが、描写の対象である ことになる。ラネカーはなぜこのような不可解な分析をせざるを得なかったのか?本発表では、物語論におけるfocalizationという考え方などを参考にし、認知文法における主観性の構図の検討を試みる。