著者
長野 正孝 山本 修司
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.81-96, 1992-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
7

中米地峡運河は、16世紀からその必要性が叫ばれていたが、20世紀初頭になって、水路と人造湖、閘門、ダムを擁する構造物として、パナマに完成した。それに至るまで、技術の進歩と計画規模の増大という相克の歴史があった。すなわち、中米地峡運河の計画は、それぞれの時代に新しく生まれた土木技術を取り入れながら、より優れたものになってきたが、一方では、この200年間に船舶が飛躍的に大型化したことによって、要求される運河の規模が大きくなり、膨大な土量を掘削し、巨大な閘門を建設することを余儀なくさせられてきた。本論では、その歴史について、技術面に焦点をあてて、以下の点について、分析、評価を行った。第一に、18世紀までのヨーロッパの技術では、この中米地峡に、運河を建設することは不可能であったことを幾つかの角度から傍証した。第二に、レセップスの時代には、技術的な制約はほぼ解決し、中米地峡運河は、パナマにおいて、その規模は別にして、可能となっていたことを傍証した。すなわち、この時代には、連続して閘門をつなぎ大きな水位差を克服する技術や大きな水圧に耐える鋼鉄製ゲート、近代測量技術、コンクリート技術などがほぼ確立し、水路掘削に不可欠な掘削機械、浚渫船、ダイナマイトなども登場した。第三に、何故、近代運河に鋼鉄製ゲートが必要となってきたかについて分析した。すなわち、伝統的なヨーロッパの閘門式運河では、その水位差が5mになると限界に達するという経験則があったが、本論では、その原因の一つがゲートの材質にあることを明らかにし、中米地峡運河実現のためには鋼鉄製ゲートが必要であったことを傍証した。第四に、閘門をコンクリート構造にすることによって、大型の閘門と給水用のダムが可能になったことも明らかにした。すなわち、19世紀末からフランスとアメリカによって行われた現パナマ運河のプロトタイプの計画から、重力式コンクリート構造が不可欠となった背景とその技術水準を分析した。第五に、パナマ運河の最近の計画と掘削土量の変遷について評価し、将来の運河のあり方を示唆した。