著者
関 鼎
出版者
社団法人 東洋音楽学会
雑誌
東洋音楽研究 (ISSN:00393851)
巻号頁・発行日
vol.1967, no.20, pp.29-48, 1967

本稿は印度の民謡の単なる紹介であるということを最初に断わっておかなければならない。<BR>印度は亜大陸である。その面積はソ連を除いた全ヨーロッパの面積にほぼ匹敵し、その人口は前記ヨーロッパのそれよりも約一五パーセントを上回る。そしてこの亜大陸は、北のカラコルムの氷河地帯、南の熱帯の波の打ち寄せるコモリン岬、東の深いジャングルに覆われたアッサムの丘陵地帯、西の荒涼としたバルチスタンの砂漠地帯、あるいはヒマラヤ山系の高い山々と深い谷間、まったく平坦なヒンダスタン平原等その自然においてまったく変化に富んでおり、その住民は、風貌を異にし皮膚の色を異にしたさまざまな人種で、それらがこの異なった自然環境の中で異なった神に帰依し、異なった言葉を話し、異なった風俗習慣を持ち、そしてもっとも原始的なジャングルの奥の生活からもっとも近代的な都市生活までのさまざまな生活を営なんでいる。印度の民謡はこれらをそのままに反映して、それぞれ特色を持ち、変化に富み、そしてそれらが互いに入り交り縺れ合ってまったく複雑である。<BR>この亜大陸の文化は「印度文化」あるいは「ヒンヅー文化」と呼ばれ、しばしば中国文化および西アジア文化と並べられてアジアの三大文化とされる。そして、印度文化の特徴は「 多様性の中の統一」 という言葉で説明される。しかし民謡の場省は、少なくとも私の聞いた限りにおいては、その多様性は容易に見出すことは出来るとして、一つの印度民印度の民謡 二九 (29 ) 印度の民謡 三〇謡としての統一をそこに見出すことは出来ないように思われる。今日、パキスタンの文化はしばしば西アジアの文化として考えられているので、民謡もまたインドとパキスタンに分けて考えなければならないかも知れない。しかし、このように二つに分けて考え、それぞれに統一を見出そうとしてもその結果は同じであるし、また、古典音楽にならって南北二つに大別して眺めて見てもその答はやはり同様である。<BR>しかしながら、今日まで私が耳にすることの出来た印度の民謡は、莫大な数にのぼるこの亜大陸の民謡のごく一部に過ぎない。したがって、私の聞くことの出来た民謡を基にこれ以上印度の民謡を論じることは、盲人が象の脚をなでて象を論じるとなんら変りはない、現在ここで私が印度の民謡について出来る唯一のことは、私の集めることの出来た民謡を楽譜にして、出来るだけ多く紹介することである。<BR>今日、印度の民謡の音楽の面はあまり研究されておらず、したがって、これに関する著書や論文、それに資料となる楽譜は非常にその数が少ないので、私がここに紹介する印度の民謡の楽譜が、この方面に興味を持っておられる方々にとってなんらかの役にたつことが出来ればまことに幸である。<BR>以下紹介する楽譜について一言述べておかなければならない。<BR>これらの楽譜はすべてインド放送局およびパキスタン放送局の作製した録音テープより採譜したもので、録音テープはすべて武蔵野音楽大学および私の所蔵するものであり、市販されているレコードよりのものは二切含まれていない。採譜は福田芳野および私が共同で行なったものである。<BR>これらの民謡の中には、放送のためにいくらか整備されているものもあるが、それらも将来現地採集の際の一つの手がかりとなると考えられるのでここに紹介することにした。<BR>半音よりさらに狭い微分音程の記譜に関しては、その楽譜のところで説明を加える。 (30 ) <BR>拍子記号および縦線は、ただ楽譜を読み易くするためのもので、したがって西洋音楽におけるように、縦線の次の音符は強拍となるとは限らない。<BR>一つの歌において、繰り返しごとに旋律の一部が多少異なっているものがあるが、その場合にはもっとも多く歌われている旋律を選んで採譜した。<BR>なお、ここでいう印度は地理的にみた印度である。この場合、セイロンやネパールも当然この中に含まれなければならないのであるが、紙面に限りがあるので、これらの国の民謡は省くことにした。また、チベット、アフガニスタン、イランなどの民謡を比較のためにここに紹介すべきであると考えたが、これらもまた同様の理由で省くことにした。これらの国の民謡は、機会があれば改めて紹介したいと思う。