著者
飯本 稔
出版者
駒澤大学文学部史学会
雑誌
駒沢史学 (ISSN:04506928)
巻号頁・発行日
no.14, pp.34-55, 1967-04

第十七回西洋史学会のアメリカ史部会で、アメリカ合衆国のその後の発展の基となる「帝国」的理念の萌芽が、一応一八二〇年代に基礎付けられたとする仮定とともに、アメリカ革命とアメリカ史全般への見方について若干の討論がなされた。ここで示されたいわゆる「帝国」概念が帝国主義を意味しないことは勿論であるが、一応モンロー主義宣言を中心とした同時代の一連の外交が、国内に波乱をはらみながら、既に産業革命期を迎えつつ発展途上にあったアメリカの対外姿勢として、なおまた十九世紀後半から躍進的膨張に乗り出した合衆国の外交政策の基本方針を打ち出したものとして注目すべきことに、それほど異論がなかったと思える。衆知の如くアメリカの対外膨張が「マニフェスト・ディスティニー」の掛声とともに積極化するのは四〇年代からであり、二〇年代にこの「帝国」的概念を求めるについては、多少無理な感じがするのであるが、一応その外交政策の中心的推進者となれば、誰しもジョン・クインジー・アダムスの名を挙げ得よう。第六代大統領としての彼の治世については、ジャクソニアンをはじめ多くの論難があり、その評価はかなり難かしいが、ここではテーマを主として外交上の問題に限り、モンローと並ぶ代表的な外交官出身者としてのアダムスの面目が発揮された国務長官在任期を中心として、彼の思想中から多少でもその後のアメリカ外交政策の基本なり、あるいは外交そのものの積極性の萌を認めることができるかどうか検討してみる積りである。但しジョン・クインジー・アダムスに関しては、公職在任期間が長期に亘ったため、彼の残した文書・記録・演説などの量の尨大さは、歴代大統領中でも屈指の一人といわれ、到底その多くを読み得ないので、その引用はポピュラーなものに限られ、あるいは私見の偏向もあろうと考える次第である。